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祗園精舎の鐘の声
諸行無常の響きあり
娑羅双樹の花の色
盛者必衰の理をあらはす
驕れる者久しからず
ただ春の夜の夢のごとし
猛き人も遂には滅びぬ
ひとへに風の前の塵に同じ

【語訳】
祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常、すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、
どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え驕りたがる者も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようである。
勢い盛んで激しい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。


ご存知「平家物語」冒頭の語句です。なんとも味わい深い語句ではありませんか。

盛者必衰、栄枯盛衰から普通連想するのは、古今東西の国や文化の歴史や叙事詩と思われますが、私自身はたかが仮想空間のウルティマオンラインという幾百あるうち1つのオンラインゲーム、更に何十あるサーバーのうちのたった1つの小さいWorld(Shard)。Yamatoの歴史に想いを馳せてしまいます。

とても小さい、されど紛れも無く幾千幾万の現実世界の人間がPlayer Characterを操作する事で歴史を作り、ブリタニア大陸という舞台の中で物語を織り成していったYamato Shardではありますが、嘗ては無数に存在した対人戦記もその殆どが閉鎖してしまい、Yamato誕生から幾星霜を経て時代の語り部達はいよいよ少なくなってまいりました。

このまま過去のYamatoが追憶の彼方にまで追いやられてしまうのは何となく惜しい気がします。そこで、特別殊勝な気持ちではありませんが、Yamato war guildの栄枯盛衰をテーマに、Yamato誕生から現在までの状勢を一貫して記したコンテンツを作ってみました。

このサイトに立ち寄った皆様におかれましては、過去の対人がどのような物であったのか、その後どうなったのか。対人状勢が仕様により振り回されながら兎角移り変わっていった様を知ることが出来ればと思う次第です。

また、当コンテンツは不肖者の1個人が、あくまで趣味且つ主観で書き綴るだけの内容である為、YamatoWarにおける正確な記録でも、世論を代表するものでもありませんので悪しからずご容赦くださいますようお願い申し上げると共に、記述が正しくない部分のご指摘や、その他情報、感想等をこちらにてお寄せ頂けましたら幸いです。

なお、史はWarを中心としているのでPK&PKKは補足的に記載しています。
当方、派閥Guildは殆ど存じ上げぬ故に未記載です。

各章の編集については、年月表は公式サイトを中心に補完。流れや当時のGuildに関しては私自身の記憶と、各WarGuildサイトの宣戦状態の記述やユーザーサイトの情報を断片的に集めながら(後年の殆どはYGWのHPより)補完作業を行わさせて頂きました事をこの場でご報告申し上げます。

●把握しきれていない情報
AbyssWar全参加Guild(sayuさんのAbyss戦記が残ってたらなぁ…)
派閥導入時、既存全WarGuildの参入先
DestardPITが設置された年月
PITの場所が、DestardPIT からJhelomPITに移転した年月
UOボード閉鎖時期
説明文が無いギルド。派閥ギルド。対人系パワスクギルド


●年月表について
太文字…UO新パッケージ
緑文字…新Shard
赤文字…PvP全体に大きな影響を及ぼしたアップデート及び出来事
青文字…PvP系ユーザーによる出来事もしくはイベント
紫文字…大手UO Page更新停止もしくは閉鎖
●年月表

(1996.5)Preαテスト開始
(1997.6)β開始
(1997.8)β Phase2開始
(1997.8)ブラックソーン城で演説中だったLord BritishがプレイヤーRainzのFFにより焼殺される
(1997.10)Ultima Onlineパッケージ発売。正式サービス開始
(1998.3)T.Yach’sウルティマオンラインページ更新停止
(1998.3)AOAO更新停止
(1998.6)殺人カウント導入、評判システム変更(通称:新評判システム)導入
(1998.6)ギルド間戦争導入
(1998.6)Uolimpic BAJA


●流れ

日本サーバー誕生以前の話。日本サーバーが存在しない頃、日本人のプレイヤー達は米国の西海岸沿いにサーバーが設置されてある比較的軽いサーバーでPlayしていた。

主にPacific,Baja,Napa,Sonoma(西海岸沿いではないが、βサーバーを除いた最も初期のシャードAtlanticや、その可愛い名称からかCatskillsも人気があった)


●当時の主なGuild

[Pacific]
CoS,SoK,VC,SSS(S3)

[Baja]
ScV,HoA,J99,WD,LLF,KOP,SDK,DF,AoA,BC,LAG

[Napa]
Arc,GoE,GoZ,P's,SD,CT,L&P,CBz

[Sonoma]
UTM,ZP

[Catskills](因みにシャード名の意味は猫スキルではなく猫殺し)
RZP

●この頃の思ひ出

時は1997年10月。Diabloを楽しく遊んでいた頃の話。

数千人という不特定多人数が同じ世界で遊ぶという新しい概念のPRG「Ultima Online」が発売される。
凄いよゲームという舞台で沢山の見知らぬ人同士が遊べるなんて!と興奮した私はおっしゃーやったるでーと購入しようとしたのですが、発売当時はサーバーキャパシティを考慮して、日本での初回発売本数は約3,000本と言われており、それを聞きつけたゲーマーが秋葉原に行列を作り、更にワールドビジネスサテライトがその様子を取材する等の騒ぎとなり、私は手に入れる事は出来ずに時は流れていきました。

1998年2月、日本産ゲーム「ライフストーム」発売。
遊んでいたDiabloもチートアイテム氾濫でゲームが崩壊を迎えており、battelle.netが終了しただか何だかでDiabloが終了してしまう。

ちなみにこの頃はMMOという言葉自体無く「不特定多数同時参加型RPG」と呼ばれ、そしてそのタイプはUOと、ライフストームの2択しかありませんでした。

ライフストームは日本語で遊べるし、遊んでみるかなぁ、でもチートだらけでゲームが崩壊してるという噂もあったしどうしようかと思いつつも購入しにいくも、ライフストームのパッケージ(というより殆ど丸裸で売られていた)の作りが大変しょぼく、購買意欲をそそられなかった為、結局UOを購入しました。

話が脱線しますが、ライフストームのその後は早々にサービス終了。その後にライフストーム2や原始時代に世界観を変えたストーンエイジがリリースされますが開発運営会社㈱日本システムサプライが倒産。日本システムサプライの開発陣とプログラムソースはエニックスが引き取りクロスゲートが開発され、時は流れて一旦クローズしたストーンエイジも2として復活中。更にクロスゲートの後継としてコンチェルトゲートが…といった感じで、その系譜は脈々と継がれています。
更に話は脱線しますが、クローズしていくMMO数あれど"日本国内で言えば"サービスが途切れる事無く絶え間なく継続しているMMORPGはウルティマオンライン(1997.10~)で、その次が韓国産のGODIUS(2002.2~)、少し遅れてリネージュです(2002.2~)。【2011年10月現在】

さて、話をUOに戻します。

公式ガイドブックや、すでに更新を停止していた日本初のUO総合ページである、T.Yach's ウルティマオンラインページやUOボード(Ultima Online Board )を見ながら、日本人が多いと言われていたbajaで遊ぶ。
当然付属マニュアルもゲーム内も全てが英語でさっぱりわけわかめの中、「nihonjin imasenka-」(日本語ユニコード対応はT2Aからなのて当時の会話はローマ字でした)と叫びながら歩いていたら、舟場で釣り糸を垂れていたGoinkyoというあからさまな第一日本人発見!
で、その人にちょっと教えてもらい軌道に乗るも、相変わらず仲間もおらず孤独だし回線は重いし町から出ればPKに殺されたりで仕様も殆ど理解できずで、何じゃああーー!とヤケクソになった私はその辺のNPCに殴りかかり、ガード死したまま辞めてしまいました(笑)

その後私は1998年6月に発売されたネット三国志「武勇伝」に大ハマりしてしまいました。
●年月表

(1998.9)Asuka,Yamato Open
(1998.10)Ultima Online: The Second Age(ザ・セカンドエイジ 通称:T2A)発売
(1998.10)Wakoku Open
(1998.12)テント消滅
(1998.12)uolimpic98 YAMATO
(1998.12)初代DuelPit設置
(1999.1)トレハン導入
(1999.1)Hokuto Open
(1999.2)カラーインゴット導入、瞑想・ステルス・罠・罠外しskill導入、アナトミーが武器ダメに影響
(1999.2)uolimpic3
(1999.3)Yamato大戦


●流れ

(1998.9)
UOボード(今は無き日本人プレイヤー達の為の大BBS)上で、異なるシャードのPvPer達同士で不毛なBBS合戦を繰り広げる中、日本サーバー第一号Asukaが、その数時間遅れでYamatoが設置される。

日本シャードの記念すべき幕開けだ。

日本シャード発足前、UOボードでLAPIS@ScV氏が「PvPerはyamatoに集まり決着をつけよう」的な住み分けを提唱して大騒ぎになった事や、元々yamatoの名が持つその猛々しいイメージも一因してか、多くの対人屋はYamatoに集った。
ひいてはYamatoがWar serverと呼ばれる由縁となった。

(1998.10)
先ず初めに、大陸制覇を唱えるBaja出身のScVが、Pacificで君臨していた大勢力CoSに猛烈な挑発を行い開戦した事からYamato Warの幕が開けた。

その一方で、PKとPKKの争い。PK勢LLF(Baja),KOP(Baja),RoS(元は全怒連のVC。Paci) vs NapaのPKK勢Arc,GoZの戦いはWarにその舞台を移しKRS vs P*Pに。

ScV,CoS,KRS,P*P
その4大勢力(プラスDF)が絡みあう形に発展した。

出身シャード間の争いが特に色濃かったこの合戦は、Baja出身者メインのScVとKRS、Paci出身のCoS&Napa出身のP*Pが度々共闘する形となり、KRScVの前にCoS、P*Pが衰退していった。

(1999.1)
KRScV同盟終了、及びDFのScV傭兵期間終了。その後ScVと、DFを雇い入れたKRSの戦争の最中に=+=登場。=+=は、RoD、H+、CoC(CoS残党)といったChaos勢のWarGuildや、GoZやWarに残ったP*Pの一部をまとめ上げカオス連合を組織。
また一方では、Order勢のLSDとSDKが同盟、更にKRSとの契約期間が切れたDFを迎えScV、KRSに宣戦。勢力図はScV vs KRS vs LSDK vs カオス連合の4つ巴となった。

(1999.2)
LSDKとカオス連合のマンパワーに押されたScVとKRSは再同盟しKRScV vs LSDK vs カオス連合となり、今度はKRScV優勢になり過ぎてしまう。また、この頃の背景として、新RPG「EverQuest」発売も控え倦怠感が蔓延しており、各ギルドAct低下で急速にWar界が盛り下がっていた。
そんな中、ScVを構成していたギルドのうちの1つ、HoAを率いるKiyoyo氏(UOlimpicの始祖であり、yamato大戦における実質の立役者のうちの一人であった)の一部はScVを抜けDFを雇い反ScVの旗手として=+=と組み、反ScV体制を作り上げた。
2月下旬。=+=のGMであるyutaka氏は、ScVに「期間限定での完全決着方式warでギルドを賭けた戦いを望む。」と投稿した事により、yamato黎明期における最後の花火、通称yamato大戦(大和大戦。14日間戦争とも)が動き出した。

(1999.3)
はてさて、負けた方がギルド解散及び公開処刑という、
まさに雌雄を決する為の14日間戦争yamato大戦開始。

リコール、ゲート、蘇生禁止(途中召喚魔法禁止といったルールが追加されていった)、一日3回勝負。7勝した方が勝ち。場所はDecietやブリ2銀等で行われ、食料を旗に見立てたフラッグ戦等も行われたりしたが中盤からヒスロス島を舞台とした大将戦に落ち着く。

初日の前哨戦は=+=が圧勝したことから、ScV側は数的有利を保とうと他のWarや一般ギルドに参加を広く募った。=+=もそれに対抗すべく募集を行いActが増大。Yamato大戦の熱気は次第にyamato全体に広がっていき、募集合戦の末にはほぼ全ての対人Guildが参戦しyamatoが真っ二つに割れただけではなく、最終的にはイベント化された事もあってか一般人の参加も多くなり、両陣営は共に石登録250キャラクター以上、同時参加数は各陣営100人を超えるUO史上、いや、オンラインゲーム史上空前の大戦へと発展していった。

ScV陣営…ScV,KRS,WD,SDK,S3,BNG,Zoo,D,SpS,i's,DKR,FoF
=+=陣営…=+=,HoA,DF,P*P,CoS,H+,RoD,GoZ,JDS,IF,P,RS,SoK
(一般、PK、PKK Guild含む)

Yamato大戦はScV勝利で終結。=+=は公開処刑、guild解散。
公開処刑式は、=+=が全員裸でブリテイン城下町を引っ張りまわされる処刑パレードから始まりブリ城に整列。ScVに処刑されるというもの。更に式を盛り上げる為のシナリオがあり、暴れる=+=をScVが鎮圧するというものであった。

で、実際ScVの処刑が始まり、=+=が暴れだす…が。

弱い武器などで手加減しながら襲いかかるはずだった=+=。しかし弓を使う者がいる。観客席からヒールや弓が飛ぶ。毒を塗った武器で襲いかかる者もいる。魔法をバリバリ使う者もいる。フィールド魔法やデーモン召喚するものが居る(この場では全てタブーのはずだった)。しかもイベントの締めに最後に殺されるはずだった=+=GM、yutaka氏が殺害されてしまい、更にはBri城のあまりの重さに出動したGMが、1Fで乱戦していたPCを次々と座標強制移動させ、とどめにはその混乱に乗じてDFと一部の=+=が王座の裏からGateで乱入し暴れまわるという何重ものアクシデントの結果、大混乱のまま収集がつかなくなり終了。

ともあれ日本サーバー誕生から激動の半年間は、前半は出身シャード間争い。後半はScV vs アンチScVの戦いはここに一応の終結を迎えたのであった。


●当時のWar Guild

[CoC]…CoSの派生。Chaos guild

[CoS]…UOβ時代から存在していたGuildで、PacificでCoS,SoK,VC等を含めて「全PacificDread連合(通称:全怒連)」とし君臨していた巨大ギルド。War GuildでもPK guildでもなく、何でもアリのGuildだった。Ymtではおき楽ギルドでScVの挑発に対しても腰が重かった様子。逆説的だがCoSはYmtではPK活動を大々的には行っていなかった故に、Anti PKが理念であるP*Pも、CoSと共闘したという経緯がある。

[DF]…Baja出身の傭兵Guild。DFが何処に付くのかでWar勢力図は一新されてしまうほどの兵力と強さを併せ持っていた。
一方で、戦力バランサーの位置付けでもあった。DFは劣勢側に付くことで、Yamatoサーバー全体の勢力を均衡させていた側面がある。これは暗黙の了解。

[H+]…Napa出身のギルドHaienaのWar部隊。率いるはadio氏。率盾持ちが多くて堅固(当時、盾skillはレジ並かそれ以上にあげるのが大変だった)。

[i's]…ギルド名もキャラ名もiで服も同じという謎のFPK集団。
その正体は一部のScVやLLFメンバーとの事(ScV某氏からの証言)

[KRS]…3つのPKギルド(LLF、KOP、RoS)がWarの為に統合した正式名称KoRoSu!という物騒なWar Guild。Ymt情勢を動かしていたギルドの一つ。

[LSD]…Sonomaから移住し、Yamato誕生と共に立ち上げたOrderギルド。SDKと同盟するまではずっと単独でWarをしていた。Vashは因みにLSD三代目のGM。(因みにIzmのPKGuild、LSD(らぶ山賊団)とは全くの無関係です)

[P*P]…AWCに対するScVの猛烈な挑発をいなしきれずに出来た2大PKK GuildのArc(通称アルカナ。War部隊の前身としてSSという石も立てていた)とGoZ併合によるWarGuild。AWCが結党してWarギルドを作ったのはこれが最初にしておそらく最後。
補足すると、当時のYmt PKKはアルカナ、GoZ、RS(ライジングサン)が3大PKKギルドだった。
RSのGM、Yukimura氏のリアル妹さんがRSを引き継ぎ、初心者支援ギルドとして今でも存続している。
[RZP]…傭兵ギルド梁山泊。108人までしか募集しないとの規約が印象的だった。

[S3]…Paci出身のGuild、SSSのOrder部隊。

[ScV]…yamato黎明期における主役。LAPIS氏率いるWar Guild。Baja出身でWar実装と同時に海外でWarに明け暮れていた。Yamato ScVは単体ではなく、ScV,HoA,J99,WDという4つのギルドで構成されていた。Menは全員、当時では高価であった黒プレートと真っ赤な服。因みにYamat ScVのGMは途中でBCG氏に交代。

[SDK]…正義を掲げたOrderGuild。baja出身。武闘派はymtへ、まったり派はAskに流れていった。

[P]…Prophecy。DuelギルドがWarに参戦。AsukaのOZと並び、ProphecyのHPは当時の対人指南書的役割を果たしていた。

[RoD]…ChaosGuild。

[Zoo]…TOMATOKUN率いるPKK&War Guild。なんだか色々なGuildと揉めていた。

[=+=]…正式名称Crusader(クルセイダー)。P*Pから派生した、P*PのYutaka氏率いるChaosGuild。
チェインメイルにカオスシールド。赤のタスキとキルトスカートが正装。
ScVと共にYmt黎明期における主役に。


●その他

[PoA]…Bug,cheat,青Healer何でもござれの台湾ギルド。しかし、このギルドが日本の対人屋にもたらした影響は計り知れない。
・「PoAビーム」:PoAが発見した、魔法タゲ1秒待ち開放後即詠唱という技はPoAビームと称され、PvPer必須技術となりPoAの名は長々と語り継がれることとなる。
・「APB(Anti Para Box)」:小バックパックに魔法のカギを掛け、そのバックパックを開いたときのダメージによりパラライズを解除するもの。それまでは相手のパラライズ詠唱を予測し、MA等ダメージの低い魔法をキャストしておき、自分に打ってパラライズを解除していたという非常に効率の悪いものだった。
・「PoAマジック」:VG Guildと遭遇したら (Order and Chaos guildの総称)敵対VGに即座に石が変わりアタックしてくるという、仕様の抜け業。これを、当時の日本人達は皮肉を込めてPoAマジックと呼称した(※当時はVG切り替えに7日間ルールなど無く即座にVGが変更された。因みに私も餌食になりましたとほほ)等々。

[PU2]…Bug,cheat,青Healer何でもござれの台湾ギルド。なんとギルド員の名前が全員PUPU。何故そんなことをしていたのか。なんでもゲームマスターの追跡から目を逸らす為らしい。
因みに、似たような(キャラ名が全員同じでPKFPK系)という組織に日本の「i」や、後年の「EliteMangudai」等があったがこちらチーターではない。

AWC…AWCはGuildではなく、元はNapaのPKギルドWicked Crownsに対抗すべく組織されたAnti Wicked Crownsがその発祥で、個人やPKKギルドがIRCによってPK情報を共有し、PKに対する数的有利を確保する為の組織。日本サーバー設置時に、NapaのPKGuildはYamatoに移住する事を宣言しており、2大PKKギルドのArcやGoZを始めとしたAWC勢はYamatoに移住したのだがそれはPKKをyamatoに集めてしまう為の策略で、Napa PKの大半は皆Asukaに移住してしまった。PKサイドの目論見は成功したがそこで終わらないのがAWCの執念。PKKは彼らを追い、AsukaにもAWCを構えた。こうして日本サーバー誕生後もAWCは各サーバーに存続し続けることとなり、今もなおその勢力を保ち続けている。


●この頃の思ひ出

武勇伝に飽きた頃、UOに日本サーバーが誕生したので、武勇伝で出来た友人達と共にUOをyamatoで再度始める。その後βが始まったMMORPGの「Dark Eyes」に手を出すも手ごたえが無く、「Majesty」に手を出すもイマイチ面白くない。結局UOに落ち着く。

さて、この頃のUOは新評判システム(FameとKarmaの2軸で称号が決定するシステム)や殺人カウント蓄積時の死亡でSkill Lossのペナルティが導入されたとはいえ、それでもガード圏外に出るとPKに合うのは当たり前という始末なので、被害にあったプレイヤー達にとっては、いくばかの道しかありませんでした。

①自衛手段は確立せず、対人せず、ひたすらPKから逃げる術を身に付ける。または街から出ない。
②復讐者としてPKKとしての道を歩む。
③自分もPKになる。またはその笠に着る。
④嫌になりUOを去る。

元々、血気盛んで負けず嫌い且つAnti PKな私が選んだ道は②でした。(当時の皆さんはどの道を選びましたか?)

というわけで単身AWCに個人参加し、対人の勉強をしながらPK連中に戦いを挑むも返り討ちに会うNewbie丸出しな日々を面白おかしく過ごす。
因みに当時のPKギルドはCT,KOP,LLF,RoS,SoK,UTM(通称マフィア),i's,PoA,PU2等。

で、そのような日々を過ごしつつ時は流れてYamato大戦開催へ。Yamato大戦末期にSoKが=+=陣営で参戦するとの報を聞いたので、SoKにハウスルートされた事があり、その仕返しがしたかった私は「おっしゃこりゃぁScV側に参戦するしかないべ」って事で友人5人ほどを誘いScVへ。
当時の私からしてみればyamato大戦はScV vs anti ScVの戦いに参加したというわけではなく、単なる私怨で動いていたのです。まあ実際参加したら私怨などどうでも良くなってしまったのではありますが。で、この頃は既にScV石単独で200キャラクター以上の登録があり、GMから「これ以上member登録したらサーバーが落ちる!」と警告されていた為ScV石には入れないとの事なのでSDK石に登録させてもらい、ヒスロス戦に参戦。これが私の初War。ちゃっかりオーダーシールド片手に公開処刑式にまで参列し、ハルバードを振るい=+=を見送ろうとしたら、GMにコブトスあたりにすっ飛ばされてしまいました(笑)
●年月表

(1999.7)皇帝ゴルモア倒される
(1999.7)SigePerilous (上級Shard)Open
(1999.7)クリーンアップ・ブリタニア・キャンペーン(Bress Deed登場)
(1999.7)熊鹿War
(1999.8)ロードブリティッシュ来日
(1999.9)UOマクロ大幅拡張(UOAに類似した機能その他の搭載)、Young実装
(1999.9)Izumo Open
(1999.10)UOAssist認可
(1999.11)skill管理実装(Up,Down,Stop)、Runeブック実装、ポーション樽実装その他


●流れ

(1999.5)
当時の戦争屋の大半はWarを去っていったが、Yamato大戦によりWarに目覚めた第二世代のプレイヤー達が育っていった時代。
ScVそのものはWarを撤退したが、ScVを構成していたギルドのうちの1つ、J99はN99として改めて戦争を継続する。
大勢力のN99はyamato大戦後に残っていたSDK,RoD(RoDは敗戦後、N99に吸収された)そして新興勢力のSDやnWo連合(nWo+SLS+DF)等を次々と下し蹂躙また蹂躙をほしいままにしていたが、その後、突如現れた大勢力=J=がN99に宣戦布告。ここから、後に1ギルドにつき"Actで"30人以上、多い時で4,50人以上といった、大規模ギルドが連日連夜ぶつかり合った「大規模War時代」(殆どカラーギャングのノリだったのでカラーWarとも呼称された)と呼ばれる時代へと突入していく。
そこに更に、N99に苦境に立たされていた小規模WarギルドのAPSはDFを雇い、APSと同じような境遇だったギルド+D+と同盟して大規模Warに参戦し3つ巴となった。

(1999.6)
APSと+D+が合併。2Guildは石統合し、DAPとなった。ChaosのN99と=J=はお互いに宣戦しており、OrderのDAPはそこに割り込む形で戦争が続いた。
同月下旬、元ScVのUnicorn氏率いるChaos Guild、HH出現。
N99 vs =J= vs DAP、DAP vs HH。
DAPに厳しい構図になった。

(1999.7)
=J=、Guild Stornバグにより、タグが*J*となった。
DAP、DF撤退後Act低下&+D+とAPS分裂により解散。
代わりにHHがN99,=J=に宣戦し3つ巴を形成する。
次いで北斗から遠征してきたSM!が参戦。4つ巴となる。

(1999.8)
再生したSLSが参戦し5つ巴に。しかし月末に、良くも悪くもYmt大規模War時代を引っ張っていったN99が解散。

(1999.9)
SM! は北斗に撤収。HHはAct低下により解散。
残った大規模は*J*、SLSのみとなる。
そこにLSPが中小規模から大規模Warへと参戦するがすぐに解散してしまう。
SLSのActは低下。こうして、大規模Warは収束していった。

(1999.10)
UOAが認可される。UOAは操作が大幅に簡略化されるマクロツール。以下、どのように操作が簡略化されたのかを簡単に説明する。

それまではラストターゲットなんて概念すら無く、魔法は逐一相手にあわせ、パラライズやBOXされたときはCtrl+矢印キーを押しキャラクターを走らせながらマウスで赤POTやAPBを使用し、包帯も勿論直接アイテムをダブルクリックし自分にターゲット。爆弾などはバックパック内に重ね置きしてラストオブジェクトを連打していた。武器装着はバックパックからペーパードールへマウスドラッグ、武器外しはPDでマウスをクリック&ドラッグし自キャラクターにドロップさせていた(なので絵柄が大きく最大ダメージを与えられるハルバード使いばかりだった)。

Wandは武器を装備したままPDをWクリックして使うし、テレポリングの使用に至っては、あの小さいリングを直接Wクリックして使用するものだから超高難度技だった。

それらの動作がみなボタン1発で行えるようになったのだ!

当時からするとあまりに便利だったUOAの使用を巡り論争が巻き起こる。対人においては特にアンチUOA派が多かったが、結局はUOAを駆使した対人技術も進み戦闘がスピーディーになり、ひいてはUOA使用者とそうでない者の格差が進んだ事もあり、時の流れと共にUOAは対人において必須ツールとなっていった。

さらにUOオフィシャルの仕様でもUOAの機能を模範した、ラストターゲットや武器着脱その他マクロが実装され、UOAマクロとUOマクロを組み合わせる事によりエンドユーザー側のマクロの開発が進んだ。結局、マクロの仕様を理解し、独自の工夫でマクロを開発して他者をリードするのもPlayer skillのうちの一つとなった。


●当時のWar Guild

[N99]…1番目の大勢力。J99はそれまではScVを構成するギルドだったがyamato大戦終了後もYamatoに残りN99と名称を改め戦争を継続。Chaosギルド。GMはStGIGA氏。ギルドカラーは青。(因みにJ99そのものはDiabloから続くネットゲームサークル的Guildであり、ScVに参加していた99はいわゆる武闘派だけだった)

[=J=]…2番目の大勢力。N99に対抗すべく立ち上がった元SDKのrami氏率いるWarGuild。Chaos。ギルドカラーは赤。

[DAP]…3番目の大勢力。SUREN(つまり私)率いるAPSと、KOIさん(TDのserpico)率いる+D+が同盟し後に合併、石統合した際に出来たギルド。ここにDFを向かえN99,=J=に挑んでいった。Order。ギルドカラーは黄緑(APSの黄色と+D+の深縁)。

[HH]…4番目の大勢力。Chaos Guild。GMは元ScVのUnicorn氏。ギルドカラーは黒とオレンジ。

[SM!]…5番目の大勢力。yamato大戦終了後、+D+に招かれていたStroさんが、改めてhokutoのWarメンバーを引き連れyamatoに遠征してきた。ギルドカラーは薄紫。

[SLS]…SLSは一度敗戦したが再び復活し6番目の大勢力として再登場。GMはALCANFEL氏。圏内を主眼とし弓を大々的に取り入れていた。ギルドカラーはこの当時は白(後に紫に)。

[LPS]…中小規模Warを卒業し、7番目に大勢力に移行したギルド。GMはriin氏。

[DF]…この頃GMのseturaさんはAct低下中で、実質Sub GMのfourさんがGuildを運営。

[SD]…+D+の前身。

[SDK]…

[RoD]…

[nWo]…ワールドニューオーダー。SLSと連合を組みDFを雇いN99に挑んでいった。

※その他、この頃に活動していた小規模WarGuildに関しては数が多すぎる為に省略しました。次の時代解説でまとめて紹介します。


●この頃の思ひ出

(1999.4)
それまで使用していたメインキャラ[soujii]はスキルシーソーに失敗してスキルがぐっちゃぐちゃになってしまったので新キャラクターを作成しました。
長年メインキャラに据える事となるWarキャラSUREN誕生です。
あまりに使用期間が長く、他のキャラクターを使っていてもSURENといわれるようになった事からネットゲーム全般のHNもSURENにしました。
名前の由来は、Warといったらレトロゲーム「ボコスカウォーズ」 だよね(←?) って事で、その主人公スレン王国スレン王から。ボコスカといったらメイスっぽいよなぁという事で、得物はメイスに拘っていました。

さて、Warがしたかった私は仲間を集め、War Guild、APS を立ち上げました。正式名称「AGAPES」。
意味は”真実の愛”となんだかご大層ですが、副GMだったJuliusの手元に転がってた漫画からとっただけでした、ははは。

で、何処と戦争しようかと策定を進めていたあくる日の事、ディシートで遭遇したN99から「ウセロ一般人!」「戦争の邪魔だ!」「そこどけ!雑魚!」だの何だのと暴言を吐かれました。血気盛んで若かった私はディスプレイを殴るほどにぶっちぎれ、「腐れN99許すまじ」という戦時標語を掲げ、N99にイキナリ宣戦し、そのままWarに突入してしまったのです(そう、APSはSURENのワンマンギルド、且つ若き日のSURENは血沸き肉踊る暴走GMだったのです!)。

(1999.5)
対人Newbieギルドがイキナリ当時最強のギルドに喧嘩を売るという暴挙を果たしたSUREN率いるAPS。当時のN99は30人以上、APSは10人以下と全くお話にならず、そこでDFを雇おうと思いDFチャンネルに伺った先に居たのは+D+のkimagureさん。+D+はDSの流れを汲む、APS同時期に出来たWarギルドで同じくN99に劣勢に立たされていた為、その場で即同盟の話が持ち上がり流れるように同盟締結、当初の2週間程は、IRCは一緒、石は別々という形でWarをしていましたが、石統合しないと不便だねってことで、+D+とAPSで石統合の運びとなりDAPSに。そこに更にDFを加えたDAPは40人強の勢力になり改めてN99、加えて=J=に戦いを挑みました。

DAPにおけるWar経験者の人材としては、APS側はSDKのGMであったMasakiさんや、同じくSDKでその後APSの参謀として大いに助力を貰う事となるCQ(CraneQuin)さんを迎え、一方の+D+側からは元KRSで、Yamato大戦終了後+D+に助っ人に来ていたStroさん、そしてDF (特にfourさんにはお世話になりっぱなしでした。因みに後年のIVのGMであるfour氏とは別人です) の助力を貰い、DAPはWarGuildとしての体裁を整えていくも…。

DFや一部の経験者以外は皆War素人。N99や=J=には到底勝てない上、DAPだけHHと宣戦している為に勢力図的にも劣勢で、更に潰しあいWar盛んなこのご時世において、99からありとあらゆる暴言、誹謗中傷、罵りがBBSに繰り返し行われ、DAP側は士気が下がりつづけActが低下していく上、Stroさんは途中でDAPを抜けSM!を立ち上げ、DFは期間期間終了に伴い撤退。

大勢力を維持できなくなったDAP。しかし私は戦争継続の意思を示しゲリラ戦を続けるものの、一人の+D+のメンバーがとある事件を起こし、それを批難するAPS側と擁護する+D+側と真っ二つに分裂し、APSでも+D+でもないDAPのメンバーはそれが原因で次々と脱退し修復の目処が立たなくなる。
こうして、時は1999年7月、アンゴルモア大王降臨で世界が滅ぶと巷が騒ぐ頃、DAP瓦解の憂き目にあいました。

その後+D+は単体でWarを継続し中小規模Warへ移行。
APSはというと、メンバーは皆戦争を継続したがっていましたが、GMの私がWar時の廃Actの反動と過酷な戦争を巡る心労で疲れ果て、隠居に伴いAPS解散宣言。共に戦ったAPSの皆はというと・・・。
SubGMのJuliusは[NDK]
Marlboroは[+D+]
kenrouとTakaは[LSD]
CQさんは[*J*]
またMasakiさんやその他のメンバーは皆何処へと去り(要は消息不明。うち別ゲーム武勇伝の繋がりでAPSに入ってくれたhourinとNATとfarasisさんはWarを去り、KENSHINさんはAsukaへと帰りました)、私たちの短く太い夏は終わりを迎えたのでした。

その頃のユーザーイベントとしては熊鹿War。
Ryudo氏(KRS6代目GM)とsilvia@RoSが主催。内容は、熊マスク陣営と鹿マスク陣営に分かれてヒスロスで大将戦を行うという物でした。silviaとは旧友であった為、私は熊陣営で参戦しました。
●年月表

(1999.11)AbyssWar開催
(2000.1)Pre Cast・2連撃廃止、RO制限(フラグが立っているとリコールアウトができなくなった)
(2000.1)Pre Cast廃止反対集会
(2000.2)その場復活の廃止
(2000.3)skillバースト・小切手実装
(2000.3)ロードブリティッシュUOから旅立つ(リチャードギャリオット氏オリジン退社)
(2000.3)uolimpic4


●流れ

さて、大規模Warが収束を迎える其頃…。

当時は大規模と小規模のWarは全く別シーンで行われていたが、大規模に参加していたPvPerの殆どが分裂して小規模化するに随い、小規模Warの方が相対的に盛り上がっていった。
そう、それは前時代までの過酷な潰しあいWarからの反動か、RP的に楽しむギルドや適当に活動するギルドから、Warerとしてストイックに強さを求め続けるギルドまで、Warにおける価値観が一気に多様化し、ある意味奔放な時代でもあった。

「UOにおけるWarとは?」といった理念の多様化は、ScV、N99、=J=と続いた大和Warにおけるオピニオンリーダー(オピニオンギルドというべきか)の存在が消失(不必要化)したのと同義であった。

(1999.12)
N99亡き後にWar情勢を牽引(というより暗躍)していたのは*J*だった。
*J*は、それまでの大規模と小規模で住み分けされていたすべてのWarを統合しようとAbyssWar(アビスWar)を企画実行。参加ギルド数は17(確か)に及んだ。

AbyssWarのコンセプトとそのイレギュラー
・当時宣戦状態が入り乱れていたWar宣戦の一括化
⇒LKFのみ不参加。

・小規模ギルド(Act5程度が目安)による大乱戦
⇒PKGuild Aceとw99の同盟(A99誕生)、_A_とDtAの同盟(Abyss参加表明当時、LSDもこの同盟に加わっていたが意見相違で袂を分かち、LSDは同盟入り解消して単独でAbyssWarに臨んだ)。

上記に加え、A99とIKAがドラゴンを投入するといったWarにおけるタブー破壊(当時、ドラゴン投入はチート、青偵察、青ヒールに続くタブーだった)といった行為が行われ物議を醸したものの、中々の盛り上がりだった。

AbyssWar終了後もこのまま全宣戦全敵対が続く事をAbyssWar関係者は望んだが、イベント終了後早々に宣戦解除するギルドや、更にVGギルドが沢山現れ、その結果、交戦、非戦は各々のGuildによる所となり、その後のUO:R導入までの間は雑多且つ複雑な勢力図の小競り合いが続いていった。

(2000.1)
Pre Cast、2連激が廃止された事により、大量のPvP引退者を出す。
それらは一体如何なる技なのかを以下に説明する。

Pre Cast:Pre(「前・先・あらかじめ」などの意.)Cast(魔法をかける)の意味から。魔法詠唱直後から武器を装備し、詠唱開放カーソルも待機できるという仕様をPre Castと呼ぶようになった。

ゼロディレイ:当時はキャラクターが停止していないと、武器を振るために必要なカウントを消化出来なかった。そして武器攻撃できる状態になると、相手に接触した時点でダメージが入った。その延滞(ディレイ)が全く無い(ゼロ)状態をゼロディレイと言った。

2連激:ゼロディレイ状態から武器を持ち替えてもそのデュレイがリセットされなかった仕様を利用し、 2回目のデュレイが貯まりきる直前に武器で対象を殴ると、間髪いれずに2回殴れるという技。

で、Pre Castと2連激の複合技は以下(例)。

振りの速い素手で0ディレイにした状態からスタート

例えばEB詠唱、カーソル待機

ハルバードを持つ

ハルバード装備後、0デュレイがたまりきる直前に相手に接触する
(すると、まず素手によって満了している0ディレイによりハルバードで殴る)

(ハルバードにより2度目の0ディレイ状態が出来た瞬間に再度殴る)

EB開放

ハルバード×2とキャストした魔法がほぼ同時に入るといった具合。
これに加えてPoAビーム(Guild「PoA」を参照)などを加えた関連知識とその応用、テクニカルに操れるPlayer skillの習得がPvPでは必須であった。
補足として、武器中最大ダメージであり絵柄が大きく、マウスによる武器の着脱が他に比べて楽だったハルバードが人気で、特にDuelistの9割はTMS (Tank Mage Swordsmen)。

で、OSIはそのPre Castと2連激はバグであるとし、これを出来ないようにしてしまう。OSIのスタンスとしては、バグであるのであれば運営としては対応しなければならないだろう。しかし…バグとはいえ、偶然の産物によってもたらされたそれらをテクニカルな技として純粋に楽しんでいたPvP'er達は到底納得できず、大騒ぎとなった。
(上級者同士の争いの場合、これらの技を駆使しないと決定打(殺傷力)が無くなる事にも起因する)

LED@+D+さんは発起し、Pre Cast廃止反対集会及び署名運動を行う。集会と謳っていたが実質の内容は示威運動(いわゆるデモ)で、反対集会にはPK、PKK、Duelist、戦争屋達数百人がその垣根を越えブリ1銀に集い、カウンセラーまで出動する騒ぎにまで発展する。

結局、それから一年半の時を経たUO:R時代の2001年8月にPre Castだけ復活するも、その頃には旧0ディレイは廃止されており、UO:R時代の新0デュレイはDEX75以上のキャラクターにのみ出来た芸当でありLow(middle含む)メイジは0ディレイが出来ない状態であった為、折角のPre Cast復活も全く意味を成さないというお粗末な結果に終わってしまうのであった。


●当時のWar Guild

[0%]…N99のBaccus氏率いる圏外ギルド。

[5FD]…MIYABIさんを輩出したギルド

[_A_]…元DFのfourさんGMのギルド(DFは解散した)。

[A99]…PKguildのAceとw99で構成されるギルド。

[AGA]…

[AKU]…名前は悪だったけど素行はそんなに悪じゃなかった。

[BH]…=J=からSLSに移ったrami氏が結成したギルド。
=J=の後継と目されがちだが、
中心人物が元=J=というだけで後継(直系)ギルドではない様子。

[+D+]…APSと袂を分かった後中小Warへ。

[DCT]…DtAと同盟を組んでいたような。

[DtA]…RoS系WarGuild。

[ECJ]…

[EK]…

[>F<]…踊り子ギルド劇団フルモンティがWarギルドに華麗なる転身を遂げた!

[GAU]…後の時代まで勢力を保持していた大一派。

[GT+]…

[H+]…中小Warを継続。全敵対全宣戦の最たるGuildで、H+だけ年がら年中AbyssWar状態だった。

[@H@]…Kitayamaさん率いるWarGuild。

[iCJ]…正義を掲げるOrder Guildで、大規模War時代からVGを行っておりN99、=J=を敵にまわしながら(OrderのDAPとは不戦)AWC活動を続けていた硬派なGuild.

[IKA]…そのギルド名[くコ:彡]、茶色のピエロ帽&ピエロ服というギルド服、GMのFUTAHASI氏の素行、そして常にIKAドラゴンとまぁ何から何まで怪しいGuildであった。

[LKF]…以後ぶっちぎりでわが道を歩む事となる大勢力のWarGuild。

[LKW]…LKFの前身かと思われる。

[LSD]…この頃のLSDは社会人休日Warギルド。中小Warを行っていたがDAPにも宣戦していた。

[LPS]…小規模War Guildだったが、Actを増大させ末期の大規模Warに参戦。その後解散。

[NDK]…YUMIchan氏ら元HH系memberが中心のWar Guild。

[No1]…

[NWZ]…

[ONI]…shame4Fを鬼が島として定め根城にしていたNaokid氏率いるWarGuild。

[PCT]…

[P0P]…P0Pの前身はFPKを中心にPK、PKKを行っていた[RIM]という元SoKのkamyu氏GMのGuild。後に[@@!]の一部がP0Pに合流。幾星霜を歴て現在までも存続するというyamatoにおいて最長の活動期間と実績を誇る、名実ともにYmtを代表するGuildになった。ちなみにタグの0は(オー)ではなく(ゼロ)。

[P99]…N99の赤CPK & War Guild

[PKC]…

[PNX]…Guild HPやBBSを持たず当時としてはかなりの謎Guildだった。実態はGMのTHUMB、Kurt-Cobainらを中核に構成される極小guild。

[QD]…AWCからPKに転向した元DFのPRealさん率いる少数Warギルド。なんとメンバーはステータスロス有りの赤name。

[S']…

[SD+]…元LSDのtakaが作ったギルド。タグのSDはLSDのSDを取った物。活動も結構適当だったぽい。

[SIC]…

[SRK]…せんたろうどうくみあい せんたろうのあつきちしおがながれているぎるどなのだ

[SLS]…Abyss終了後は圏外中小Warに移行。

[@V@]…

[vr1]…

[W/G]…*J*のAbyssWar参加用の石。AbyssWar開始時には*J*は解散していた。

[W99]…わかめ99。

[@@!]…P0PのMASAYUKI氏、KUNIO氏らを輩出した事で有名…でもないか。

[ΞΦΞ]…ま○こ団。ギルドOyjの傭兵部隊。というより奇行部隊。というよりハラスメント部隊。チョクチョクとLSDに傭兵に来ていた。


●この頃の思ひ出

隠居していた私の元に、元=J=でその後LSDに身を寄せていたsayuさんから、LSDがAct不足なので来て欲しいとのオファーがあり、sayuさんの真摯な熱意に心を打たれた私はこれを快諾。Abyss War開始日にLSD入り。
APS、DAP時代には敵対でしたが内心LSDには好感を持っており、またLSDが持つ質実剛健な雰囲気が気にいって、結局ずっと居座る事になってしまいました。
また、それまではT2Aも入れられないくらいのボロPCと回線で、気合と勢いだけで邁進していた私も、その環境を新調し、ようやく人並みにキャラを動かせるようになり単騎すらも楽しめるようになったのもこの頃からでした。

さて、ちなみに、その頃のLSD memberを紹介します。GMのVashをはじめMonjyu、takimoto(メインキャラはKIKAI-JIKAKE。当時のWar'erなら誰でも知っていたゲリラ王だ)。そしてcorp(Coup d'Etat[クーデター]通称9。LSD1の悪人だ。いまだに正しいスペルが空で書けん), 私と同じAPS組みで今やLSDの主であるKenrou、Taka(UOA超反対派でその後も長年に渡りUOA導入を拒んでいた)、pip(エレキバン)、SHIROKUMA等(他抜けてる人がいたらごめん)。SayuさんはOyJに行ってしまった…。

LSDはVG Guild(Order)。Actが少ないのでゲリラ主体で、尚且つ売られた宣戦は全て買うという当時としては珍しいスタイル。当時全ギルドとWarをしていたH+に次いで敵が多く、それだけに立ち回りに苦労したけれどもその分熱く楽しめたものです。

Pre Cast廃止に関しては、+D+のLEDさんが頑張っていたのもあり、集会に参加し署名もしました。
●年月表

(2000.4)Ultima Online: Renaissance(ルネッサンス・エディション 通称:UOR)導入
(2000.7)トラメル建築解禁
(2000.7)Publish 12
(2000.8)HELPメニューに、スタックしたプレイヤー救済の為の転送機能が追加。
(2000.10)上級ダンジョンKhaldan解禁
(2000.11) 圏内で魔法が効くようになる。トラメルでVG(Order vs Chaos)が可能になる。


●流れ

それまでのUOは、まさにバイオレンスRPGであった。修羅の国そのものだった。

キャラクターメイキングをして町に降り立った瞬間。。。

・「力の上がる薬だよ」と紫色のポーションを渡されてガード死。→loot(略奪)
・「これ食べるとスタミナ回復するよ」と食べ物を食わされては毒死。→loot
・「この中にアイテム沢山入っているから使ってね」と箱を開けさせられれば爆死。→loot
・数時間かけて彫った鉱石を地面に置く。→他のプレイヤーに取られる。
・無事、鉱石をインゴット生成に成功する。→シーフに盗まれる。
・取引に関しても、武具の修理を依頼した鍛冶屋にはアイテムを持ち逃げされる(詐欺)。
・お金を稼いでPCベンダーで高価な64SpellBookを購入して中身を見れば空Book(詐欺)。
・街の施設で布を作ろうと5個の羊の毛皮を紡ぐ作業をしていたら器械の脇でhide(隠れるスキル)してる
 プレイヤーに持ち去られる(仕様の悪用)。
・街から出ればPKが居てあたりまえ。普通に殺される。→loot
・狩場で攻撃フラグを立てれば即座に殺される。→loot
・狩場でFFを使うと、そこにわざと飛び込み、FFを使った相手に攻撃フラグを立てて殺す。→loot
・モンスターを倒したら倒したで死骸からアイテムを奪い合う。→loot
・リッチロード狩りに至ってはフェイム(名声)すら奪い合う。
・家に至ってはカギを奪われる(盗まれる)と全財産を奪われる。→loot
・カギを奪われなくとも家の扉が空いた所に無理やり押られ財産を奪われる。→loot
・家から根こそぎlootされ全財産が奪われるどころか、
 FF焚かれて家で飼っている羊も皆殺しにされ、とどめは「LOL」の捨て台詞。
・というかそれ以前に、バグ利用で家に侵入されて全財産が奪われる。
・というか街で「何もしなくても」シーフからアイテムを盗まれまくる。

・死体に関しても当時に仕様は妙に凝っていて、プレイヤーの死体に刃物を当てると
 頭、胴体、手*2、足*2にバラバラにされ、更に頭に刃物を当てると脳みそが、
 胴体からは胃や腸といった内臓が出来るという、まさに残虐行為手当て。

その日を”無事に過ごせただけでも祝杯もの”だった。

で、それらネガティブ行為による全てのトラブルに終止符を打つべく投入された
OSIの最終兵器、それがUO:Rだった。

トラメルという保護区域を設けることでネガティブ行為の有無を世界により住み分けた。それにより諸問題が解決され、嫌がらせにより引退していったプレイヤーの数が減少し、相対的に新規プレイヤーの定着率が上昇し続けトラメルは活気付き、UO全体におけるユーザー数は右肩上がりとなっていった。

しかしUO本来の姿であるフェルッカは過疎化。要因として、非PvPerのトラメル移住→PK大減少→PKを見つける事すら難しくなったPKKギルド(AvA等)の滅亡…といった過疎化スパイラルをもたらした事は想像に易しい。そんな中、そのスパイラルの何れにも干渉を受けなかった層、すなわち戦争屋だけがフェルッカに居続け増え続けた。そして、UO:Rにおけるフェルッカは、Warをするためだけのリソースになったといっても過言では無くなっていた。

さて、ルネッサンスと銘打っている通り対人仕様においてもまさに革命であった。そのようなUO:Rにおける対人に影響を及ぼした仕様と、それにより及ぼした影響を簡単に箇条する。

・トラメル及びヘイブンの誕生。
 ⇒フェルッカ過疎化(上記の説明の通り、Warは益々栄えた)。

・パーティシステム実装。
 ⇒HPバーが離れても消えなくなった。

・毒状態ではHPの回復が出来なくなった。
 ⇒毒メイジ、毒戦士誕生。

・盾skillが完全防御からダメージ吸収へとその性質が変化。
 ⇒打撃強化と相対すると効果イマイチ。結果、盾戦士大減少。

・木こりskillが斧ダメージに影響。
 ⇒斧戦士誕生。

・両手武器Hitで、確率によりスキル属性に応じたネガティブ効果発生。
両手剣(斧):クラッシングブロウ(マナ減退)
両手メイス(当時はWarMaceのみ):コンカッションブロウ(2倍ダメージ。即座にバランス調整され1.5ダメージに修正された)
両手槍(及び素手):パラライズブロウ(2秒移動不可)
 ⇒純戦士強化。
※ディザーム(相手装備武器外し)とスティール併用による対人シーフ誕生はもう少し後だった気がする。要するに失念!

・ディレイ仕様変更。ゼロディレイ発生条件がDEX75以上に。
因みに振り後の待機時間にはスタミナが影響するようになった。
 ⇒戦士Hidex化

・フラグが立っているとリコールできなくなる。
 ⇒先にアタックした側だけがRO不可になってしまう為、アタック待ちという概念が生まれた。

・呪文を唱えるときは自動的にスペルブックがキャラクターの手に装備される様になる。
 ⇒純メイジ強制化。

・魔法マジックリフレクション、プロテクション、リアクティブアーマー、マインドブラスト仕様大幅変更。

などなど。

(UO:R時代前期~中期)
War事情に関して言えばSLS勃興に尽きる。UO:R導入直前に行われたuolimpic4をきっかけにkiyoyo氏らHoA一族郎党がSLSに参入。質、量ともに最大規模となる。各ギルドはSLSに対抗する為に同盟や合併を行った結果、再び大規模なWarが行われる時代となった。UO:R時代中期までの大勢力は大体以下。

SLS(SLS,HoA),17(_A_,No1),BH(BH,LSD,GT+),DVD(NDK,IKA),Kis(単体),LKF(単体),An(単体),EwS(単体)

(UO:R時代後期)
後期、SLSが徐々にAct低下していくに伴い、元々SLSに対抗する為に結成した連合もその意義を失い分散。派閥導入までの間は再び無数の小勢力による小競り合いが続いていった。


●当時のWar Guild

[0%]…出雲から遠征に来たGuild。中小規模War時代の0%とは全く別物。

[17]…SLSに対抗する為_A_とNo1が石統合して出来たGuild。

[ALH]…一般ギルドSHLのWar部隊

[Art]…

[An]…その後の活躍が待されていたGuildであったがGM引退により早々に解散。

[And]…ASR+No1+DF

[BH]…SLSに対抗する為LSD,GT+と連合。

[BnH]…

[C3/]…

[+D+]…

[DCT]…

[DtA]…

[DVD]…NDKとIKAの合併Guild。

[EoL]…エネミーオブLKFという、LKFと関係があるのだか無いのだかわからなかったギルド。

[EwS]…大勢力。GMは元LSPのriin氏。

[GAU]…

[GT+]…

[@H@]…

[H2U]…

[InV]…

[ioi]…いおい。鮮やかなライトグリーンのギルド服が印象的だった。

[Kis]…元SLSのERI氏が率いるWarGuild。
氏は後年のPub16以降、実質Warを牽引していく事となる。

[>L<]…

[Liz]…

[LKF]…

[LSD]…

[NS3]…NEOなS3。

[P0P]…

[PPP]…UO:Rにより遊び場を失ったPK達が連合を組みWarへ参戦。ギルド服が園児ルックというのもまた特徴的であった。GMはSumire Hoshino氏。

[RB]…

[ScV]…他Shardに行ったり戻ってきたり。

[SLS]…HoAのSLS入りによりAct大爆発。各ギルドは身の振り方を迫られる事に。

[SL?]…

[SM!]…HokutoとYamatoを往来していたような。

[TG]…Anの後継Guild。

[ZED]…

[;_;]…首狩り。ピエロ帽な人が印象的だった。

[+++]…

その他少数VGゲリラGuild
[///]…たっく(DR_YAKUZA)等の、H+系戦士主体のChaosゲリラギルド。
[*]…
[dub]…
[C3/]…
[NEC]…殆どnataku(aku>+D+>NEC>RIM)の個人ギルド。
[*Q*]…
[P&M]…bigaさんに尽きる


●この頃の思ひ出

未だに賛否あるUO:Rの導入。
PKが嘆きUOから去る人が多い中、私は…大いに喜んでいた!

理由としては、戦争onlyだった私にとってはPKはどうでもよく(集団対人特化のWar GuildはPK Guildを物ともしなかった背景から)、そして戦争で私たちが発生させるラグで一般playerに迷惑をかけることも無くなり、フェルッカ過疎化により戦場が軽くなり、ひいてはあらゆる戦争行為が快適になった為です。

また、望む者だけが対人をすればいいというOSIの理念にも共感を持っていました(私自身が傍若無人なハラスメントによる良Playerの引退者を大量に目の当たりにしてきた故でした)。とはいえマナーの悪いプレイヤーは即殺され排除される旧世界とは異なり、PKによる抑止や強制排除が出来ないトラメルの狩場は質の悪いプレイヤーが横行するなどの新た歪みももたらしましたが。

さてそんなUO:R。戦士が強化され、両手武器限定だけど戦士単独での純粋な殺傷力がついた事から(因みにそれまでの戦士ゲリラは強力なパッチレアによる1ヒッター戦士、つまり一撃で殺す弓やハルバードを駆使したゲリラ等が主で、その貴重な一撃殺し武器を持ち出す事はある意味最終ウェポンであり、純粋な仕様ではありませんでした)、巷では戦士ゲリラが流行りだし、戦士大好きっ子な私もその波に乗りました。

当時は鎌倉時代よろしく「やあやあ、我こそは」(いや気持ち的にね)の世界で、武将気分で純粋に1onを楽しんでいました。1on中の便乗や邪魔をしない人が多かったので、それはもうブリテインに行けば誰かしら腕に覚えがある単騎がうろついていました。UO:Rから派閥システム導入までの間は、あちらこちらで1onをしており、戦士同士の一騎打ちが熱い時代でした。

さてWar状勢の話に移ります。UO:R導入後にSLS大増殖。当時の状勢で言えばLSD単独でのActでは、3倍以上に膨れ上がったSLSを相手にするのは無理で、かといって当時のWarギルドはSLSの存在を無視できなかった為、SLSに対抗する術が必要でした。
そんな折り、BHから同盟の申し入れがありました。私自身は上記の理由から、LSDとBH、更にGT+との連合には賛成したものの、同盟成立にLSDを抜けました。
理由としては、実際の連合の方法はGuild石も服もBHにあわせたという事。これでは傍から見たら連合ではなく併合です。私自身の心情として、連合(同盟)は当時の時勢から有りだとしても、嘗てのDAP時代に、散々争いあった=J=血統の色濃いBHのタグと服はどうしてもまといたくなかった為でした。
また理由はもう一つあり、ミノック沖にある私の家(LSD)と、その隣はti-tiさん(EwS)、更に隣にAYA氏(BH)の家と3件が横並びであり、ti-tiさんとは旧友でもあった為に不戦でしたがAYA氏とは日頃からドロドロの殺し合いを演じていた為、AYA氏と共闘するなんて事は考えられなかったのでした(因みに、そんな嘗てのti-ti家とAYA家の跡地には、私が所有する18×18サイズの家がドカンと建っています。AYA氏との争いも今となっては良い思い出です)。

LSDはBH連合でWarを続けたのですが、大規模化したSLSが徐々にAct低下していくに伴い、元々SLSに対抗する為に結成した連合もその意義を失い(というよりBHとLSDが元々不仲だったなぁ)、3~4ヶ月間続いたBH連合も解散し元通り敵対関係に戻っていきました。そして私も連合解散と共にLSDに戻りWarを再開しました。

その頃のLSDのコアmemは昔から対して変わっていませんでしたが、takimotoが新興ギルドEwSに移籍。エースtakimotoの穴を埋めるべく、私のリアル友人2人をLSDに迎え入れたのを覚えています。一人はUORまではPK、その後PPPにいたAKIRA (Heart of Queen)、もう一人はGotsutotsukotsu(兀突骨)である。

(2000.11)
サーバーアップデートにより圏内で魔法が効くようになり圏内War(それまで圏内Warとは、攻撃魔法が効かない仕様の中で行われる戦士主体のWarを指しました)が終焉を迎えてしまいます。
それまでの圏内Warは、赤Potが飲めない両手武器は不向きで、かつ片手武器のダメージが低いので、よってたかってBOXして殴り殺しあうというスタイルの元で行われました。メイジは戦士の回復&ゲート移動役で、大人数の片手武器戦士同士が文字通り衝突してゴチャゴチャに固まった状態でドカバキ殴りあっていました。私は、この意地と度胸とBOX技術で戦うガチンコバトルが大好きでした。ですのでこの仕様変更は凄く残念に思ったものです。

これ以降、圏内、圏外ともに集団戦の主役も戦士からメイジとなり、戦士は両手武器を持ち、ブロウを駆使したHit&Wayをしつつ、メイジの補佐をする的な流れになっていきました。

ともあれ、この仕様変更により全てのキャラクターメイキングにはResist必須となりました。
●年月表

(2000.12)派閥システム導入
(2001.1)Moongateが行き先を選択できるようになる
(2001.1)カルマロック導入
(2001.3)Ultima Online: Third Dawn(第三の夜明け 通称:TD)発売
(2001.4)HYATTの記憶野更新停止
(2001.4)Mizuho open
(2001.6)uolimpic5
(2001.7)家の腐敗が再開される。
(2001.7)DeciにGM現る
(2001.7)オークダンジョン設置される
(2001.8)戦闘ダメージの変更
     ・HPの算出式が変更[HP= (STR/2) + 50]
     ・解剖学と伐採のダメージボーナス調整
     ・MA,FB,LTダメージ強化
     ・Harmのダメージが距離依存に
     ・魔法詠唱の際にSpellBookを装備する必要が無くなった
     ・Pre Cast復活
     (但し従来のそれとは違い、詠唱中には何も装備することは出来なかった)
(2001.9)家オートリフレッシュ・長期褒賞導入
(2001.9)修理Deed導入
(2001.10)MugenShard暫定導入
(2001.10)GL旅の手帳閉鎖
(2001.11)Kenji’s HomePage閉鎖
(2001.11)Publish 14 (鍛冶バルクオーダーシステム導入)
(2001.12)NICOLE's Home Page閉鎖
(2002.1)Mugen正式Open
(2002.1)Publish 15導入
(2002.1)献身の徳システム導入
(2002.2)Ultima Online:Lord Blackthorn's Revenge(ブラックソンの復讐 通称:LBR)発売
(2002.3)慈悲の徳システム導入
(2002.4)Swamp Dragon(通称沼ドラ)、ボーラ導入


●流れ

派閥システム導入。相変わらず我が道を突き進むLKF以外の全てのWar Guildは派閥に参入し、既存War Guildによる闘争は、4勢力からなる派閥戦争へとその舞台を移す。

既存Guildの派閥参加先は大体以下。
TB…A99(初期はSLにいた)ALH,ZED,TG,+D+
MX…BH,Kis
SL…EwS,LSD,DVD,BnH
CoM…P0P,PPP,ioi,///
(その他は把握しきれていません)

派閥システムにより対人への個人参加が容易に可能となり、UO:R世代のプレイヤーが大量に派閥戦争参入。対人プレイヤー数はそれまでの3倍は膨れ上がったというのが私のこの時の印象。

(2001.春)
派閥に飽きたInV、Liz、A99、17、GAU等が圏外のメッカDeceitでWar(通称デシWar)を再開した事により、その後デシWarに参加するWar Guildや、派閥出身Guildの参戦が入れ替わり立ち代りで有りつづけ、Pub16導入までの一年以上もの間、Deceitは絶えず活気付いていた。


●当時のWar Guild

[003]…/vI、ioi、///の併合Guild。

[17']…

[7]…

[A99]…

[ALH]…

[AOA]…

[APG]…PPP系分派その1

[A'z]…

[BHR]…元BHのAya氏率いるギルド。BHのタグを背負っているが中身は別物。

[BnH]…

[btd]…

[CrS]…Lizから独立したKull-Suさん率いるWar Guild。
YamatoにおいてP0Pに次ぐ活動期間と実績を誇る(2006年9月現在)。

[DtS]…BOSS BLACK氏率いるWarGuild。

[DVD]…

[End]…

[G99]…GAUと99が合併して出来たギルド。

[GAU]…

[GKM]…GKN(GKNはyasunofu氏率いる大規模一般ギルドであるのですが、その有様はまさに天然Chaosそのもの)のWar Guild石。

[InV]…

[IV*]…派閥出身Guild。GMのfour氏はDFのfourさんとは別人。

[KRS]…KoRoSu復活。というより石を引きついだだけでメンバーは当時とは全員違っていたので新生というべき。

[Kis]…

[Liz]…

[LKF]…

[LoK]…

[NF@]…

[NRK]…

[P0P]…

[PPP]…

[PvP]…

[RB+]…

[SAD]…PPP系分派その2。MIYABIさんが率いていた。

[SLB]…kaguraさん率いる派閥出身ギルド。Kaguraさんは後年MgnLSDに合流。

[You]…sorauさんが率いていたギルド。

[Y's]…

['B,] …

[+D+]…

[===]…


●この頃の思ひ出

派閥システムが導入され、我らLSDはSL派へ。何といいますかシャドーロードとか良くわからない物に忠誠を誓うよりも、ギルドタグを背負って敵対ギルドと戦ったほうが楽しかったですね。
2ヶ月ほど派閥をしましたが私はすぐに飽きてしまいました。その間にも他のGuildはDeceitでWar(通称デシWar)を再開したので、私も「LSDも派閥抜けてデシ行こうよ」と提案するも皆派閥が面白いらしくその気が無かった為、結局私は派閥ごとLSDを抜けました。1年以上に渡るLSDでの活動も、ここで一旦の終止符です。

その後は別に入りたいと思うWar Guildは無かった為、暇つぶしにOrderギルドを一人で作って適当にVGしたり、久しぶりにAWCに戻り単騎PKKしたりしました。その頃のPK guildはもっぱらVVV、MSNでした。

さて、AWCとはいえど基本的には単騎を楽しんでいましたがPKの絶対数が少ない為、少々退屈でした。しかしPKを探して圏外をウロウロしていると派閥タグもちらほら居た事から、予てよりtakimotoから誘われていた派閥Guild[KKB]に入りました。正式名称「キャバクラ幕府」(笑)というふざけた名前のKKB は、 KIKAI-JIKAKE (takimoto)がGMで、takimotoと交友があるメンバーで構成されていた。mokus(BH系)、Limit-Break(中の人はattoさん。嘗ては=+=を支えyamato大戦を牽引していた有名な人でした)、そして私だけという極小ギルド。KKBは私の入隊を期にTB派からMX派に移籍したので暫しMX派で遊んでいました。

そうしているうちに、日本ハードコアシャードmugenが誕生。mokusやattoさんはこの時はもうActが無かった為、私とtakimotoは「いっちょやってみっか」って事でMGNへ。そのとき、Vashやmonjyu、kenrou、9、MaiMaiといったLSDメンバーと最合流し、他シャード出身者やYmt出身のkaguraさん (派閥GuildSLBのGM)、それまでは敵であったkyasuka(+D+系。私やkenrouにとってはDAP時代の戦友でしたが)やタック(またの名をDR_YAKUZA。H+系)を迎え、LSDのタグが取れなかった為に[~~~]としMgnLSD始動。Mgnでは宣戦を飛ばし合うWarではなく赤name同士のPK合戦が通例だった為、~~~もPKが活動のメインとなりました。

takimotoの「全員メイジにしようぜ」宣言により、私もMgnの活動はメイジでした。実はPKそのものよりも、メイジ同士の詠唱戦Duelのほうにはまっていたりして。MenのMaiMaiとしょっちゅう組み手して遊んでいました。

さて、そんなこんなで暫く~~~で活動するも、Guild内で内輪モメがあり、それが元に~~~は分裂する。その後も対人を続けたいメンバーは新しく~e~という石を作りそこで対人継続する事に。
私も~e~に流れたものの、PCがボロボロになり、ラグで他メンバーの動きに全くついていけなくなり、泣く泣く隠居…。
ちなみにYamato War界におけるリアル兄弟はP0PのMasayuki氏とKUNIO氏だけではない。実はLSDのVash(弟)とMonjyu(兄)もリアル兄弟だったのだ!尚且つ内輪モメは単なる兄弟喧嘩だったのだ!しかも家族旅行もキャンセルしたとか。。。(苦笑)
●年月表

(2002.7)Publish16導入
(2002.7)skillゲイン保証システム導入(通称GGS)
(2002.7)ステータスロック導入
(2002.7)裁縫バルク導入
(2002.7)ベテランプレイヤーに対する褒賞アイテム及びskill合計値増加
(2002.7)正義の徳システム導入
(2002.9)武勇の徳システム導入
(2002.10)Sakura open
(2002.10)YMT Wars開催


●流れ

Pub16における戦闘への変更
・賞金首廃止
・DEX値による武器を振る動作による当たり判定が廃止
・EQ強化
・爆弾ポーションの威力が錬金術skill値により増加
・ボーラに追加ダメージ
・ボーラ使用にTacticsskillが不要に
・氷棒大幅強化

Publish16導入。フェルッカダンジョン内で死ぬとカースアイテムだけを落とした状態で町まで戻され、30分間再入場不可に。そしてボス沸きシステム及びパワースクロール、ステータススクロール導入。戦士は最低派閥ルニックの青武器。メイジはパワスクで強化された魔法に氷棒(Intバスターと呼ばれた)を加えたコンボ。勝負はいかに瞬殺するかというのに近くなる。

これらのUpdateは、skillがあれば誰でも対等(勿論回線やマシンスペックといった要素は除く)な条件で対人に参戦できるという旧UOからの路線変更(拡大?) であり、本格的にパワーゲーム化が始まった事を示している。

そして何よりもダンジョン内にRecall・Gateインが出来なくなってしまい、ダンジョン内ではMark・Recall・Gateの魔法は使用出来なくなってしまった為、デシWarが終焉を迎えてしまう。それに萎えた大多数のWar’erが引退か、派閥へと流れていった。

また、フェルッカダンジョンで死んでも装備を失わずに町に戻される仕様となったため、多数の対人未経験者がフェルッカに、そして後に対人に参入が進み、第四世代ともいえる人材の入れ替わりを迎えた。またパワスクギルドの概念も生まれた。

さて、そのように一気にWarが衰退したPublish16においても戦争を継続したP0P、CrS、SAD、*IV、加えてETCと [+]は新たなる戦場をDenに、その後Yew刑務所屋上にてYewWarを開始した。

(2002.10)
P0PをはじめとするPvPらは、盛り下がったPub16後のPvPを憂い、当時、PK、仮想War、派閥戦線、GWと対人sceneが全く離別している状態を打破し新しい流れを作るべく「YMT Wars」なるイベントを開催した。

●当時のWar Guild

[CrS]…

[ETC]…La(ERI)氏率いるKisの新体制。

[IV*]…

[P0P]…

[SAD]…

[[+]]…MOMOTEN氏、attoさんから新生=+=としての許可を貰い派閥で活動していた=F=が[+]と改めGuildWarに参戦。他Guildに対する凄まじい挑発により一躍時代の寵児に。


●この頃の思ひ出

引き続きMGN編。

新PC購入し復帰した私が受けた洗礼は氷棒と派閥ルニック。

EX+IntバスターでHP120が即死。
青ルニック金オークヘルムSTR濁戦士の1檄で瀕死でスタミナゼロ。


なんじゃそりゃああああああああああああああああ


Pub16は既存対人playerには総じて大不評であり、それによりMgn PvPは衰退し、それと共に~e~は自然消滅してしまいました。

Yamatoにカムバックした私はリハビリも兼ねて一人で単騎PKK。氷棒やルニック武器で簡単に殺し殺される大味なPvPは、なんというか面白さも大味でした。因みにその頃のPK GuildはAR0、GKN等。

パワー&ステータススクロール、氷棒と派閥ルニックはUOにおけるパワーゲーム化の第一歩で、それまでは緻密なステータス配分と戦術によって止めを指すまでにあれこれしていた分、Pub16における対人は大変大味に感じました。以後も続くPvP斜陽化のきっかけはPub16であったというのが私の持つ印象です。

YMTWarsには元=J=のSHAQ氏がまとめていた個人参加部隊に属し、メイジキャラでひっそりと個人参加しました。
●年月表

(2003.2)Ultima Online: Age of Shadows(正邪の大陸 通称:AoS)発売
(2003.2)Sika.com更新停止
(2003.5)Publish 18
(2005.6)正邪の大陸開始ギフト(通称謝罪アイテム)導入
(2003.7)Publish 19
(2003.7)YGW発足
(2003.7)家パッチ第1段階導入。キャラクターネーム変更サービス開始
(2003.8)家パッチ第2段階導入
(2003.10)Publish 20
(2003.11)Test Sosaria設置
(2003.12)Publish 22
(2004.1)家パッチ第3段階導入
(2004.3)Publish23
(2004.5)Publish24
(2004.6)シギル染め解禁


●流れ

UO史上嘗て無い大変革。というよりほぼ別ゲームと化した新パッケージ、それがUOAoS。

攻撃フラグが立っている時のゲート移動不可は、Warのみならずゲート移動が軸となる戦場全てが終焉したに等しい。
マジックプロパティアイテムが出現しなくなりInv,テレポリングがパッチレア化。
APBのダメージが増大し、APBの代わりに低細工スキルで作れるダーツBOXが代替用品となる。
保険制度の導入&AF(アーテファクト)により強烈なパワーインフレを巻き起こし、レアな装備がないと対人戦も門前払いとなった。
簡単に殺せてしまうボーラやディスマウント(ランスのディスマウントはすぐにNerfされた)が氾濫するPvP。
全てのプレイヤーの条件は横並びで、対人の優劣はプレイヤーの装備の量と質(多少有利でも強くても死ねば全ロストという大リスクがあった)、アイデア(skill構成や独自マクロ、その他戦術)や、思いのままにキャラクターを動かせる操作の腕“だけ“にかかっていたという嘗てのUOの姿。他のゲームには無いUOだけの魅力。これらがまとめて失われてしまった。こうして、旧世代のプレイヤー達のその殆どが引退。しかし同時にAoS後に対人を始めたプレイヤー達の新時代を迎える。

また、VG(Order vs Chaos)が消滅し、派閥戦線霧散。一方でスキルステータスロス制度が廃止されフェルッカ圏外は赤ネームが闊歩し、ほぼMugen化。そしてパワースクロール強奪ギルドが出現。各地でパワスク争奪戦が繰り広げられるようになった。


で、消滅したWarの話。

この当時、SHで行われていた仮想Warという催しがあった。仮想Warは戦争経験の無いGuildの為に用意された模擬場であり、何れ本場Warに参戦する為の練習場であったのだが、AoSによりその参戦すべき戦場が消滅してしまう。そしてそればかりか既存War Guild(P0P、CrS、ETC、*IV、G99、LKF等)が戦場を求めてこぞってSH仮想Warに参戦しにくるという逆転現象が発生してしまった。

(2003.7)
当時の戦争屋たちはSH仮想Warを継続していたが、SH仮想ギルドとの戦争に対する思想や意識、価値観の違いは深かった。
そんな中、ETCのLa氏を初めとする旧戦争屋達は、集団PvPをつまらなくする要素であるボーラやSPMによるディスマウントといった落馬の制限や、更に対人ダメージ20%軽減ドラ鎧禁止、戦闘不可地域設定(リコールアウトする為にフラグを消化する為に待機する不可侵領域)といった、強さに対する拘りを内包しつつ、あからさまなオーバーパワーを抑え、集団対人戦を楽しむ為の必要最低限のルールを設けたAF有り戦場「YGW」と称してWarを開始する。戦場は、初期はオクロー、以後はNJに定着し悠久の時を迎える。

このようにして、Warに関しても歴史的な転換期を迎えた。
YGWは、AoS導入により消滅したWarを再度まとめ、破綻した対人バランスの調整や、宣戦状態の取りまとめ、そして定期的にイベントを開催しWarに勧誘する等々を通じて、ルール無しでは、というよりユーザーの努力無しでは成り立たなくなってしまったWarという舞台を如何に存続させ続けるかというWar Guildの総合窓口的な役割を果たしていく事となっていった。

(2003.6)
正邪の大陸開始ギフト(通称:謝罪アイテム)導入。
謝罪アイテムとは、EAがAoSパッケージ発売日に、日本全シャードの一斉建築解禁という暴挙を行ったために、当然の如くエンドユーザーのアクセスが集中し大ラグ発生。高いトラフィックによるサーバーダウン(及び巻き戻り)や長時間に渡るログイン障害を招いた。それらに関する怒涛の苦情を収束させるべく「謝罪」としてユーザーにアイテムその他を提供したというもの。但し実際には、その導入時において「謝罪」ではなく「正邪の大陸開始ギフト」として、感謝を示す為に提供するという主旨に変更されている。

しかしエレクトロニックアーツよ…ステータス上限+5、これだけは、これだけはやってはいけなかった!極論すると、如何なる神アイテムやパワスク等も、自身が獲得するチャンスや、また等価の財産を揃えれば売買により獲得できるチャンスがあるからまだ良い。1年Acc毎に+5されるskill上限。これもどうかと思うが4年で対等になるからまだマシといえばマシ。長期褒章もまた然り。
しかし、謝罪アイテムのみに含まれるステータス+5。後発や謝罪アイテムを受け取れなかった出戻り組からすると、これだけは如何なる努力を持ってしても(勿論謝罪+5を受け取ったAcc譲渡は別だけど)決して追いつけない壁として立ちはだかることになった。
ステータス+5は、対人をしない人々にはさほど影響はせず、「+5自体大した差はつかない」という意見も、それはその通りだろう。PvPerからしてもあまり気にしない人も居るだろう。

しかしステータス+5が批難されるべき論点は「大した差ではない」ではなく、それはひとえに、UOの最も良い所である「後発が追いつけ追い抜ける可能性がある」ゲームというスタンスを運営自ら潰してしまった所を問題視すべきだ。

私の中では、謝罪ステータス+5はEA最大の失策と目しており、そしてまたその施策を実行してしまうUO運営におけるEAの理念にただただ運営不信が募った。そしてまた、私自身はステータス+5を受取ったものの、受け取れなかった後発や出戻り組が受ける精神的ダメージを慮るばかりなりであった。

今からでもいい。謝罪ステータス+5機能を持つPSでも、リアルマネーでも、ベテラン褒章でも何でもいい。何かしらの形でステータス+5を実装し、後発、出戻り組にも"追いつける"チャンスを与えるべきだと私は考える。
(2006.11に半年褒章としてステータス+5が導入されました。めでたしめでたし)


●当時のWar Guild

[7]…

[BNT]…

[CrS]…

[DD!]…

[ETC]…

[F*A]…

[FoE]…

[*IV]…

[-K-]…

[P0P]…GMがKamyu氏からMasayuki氏に交代

[SPK]…

[Udn]…CrSの別石

[Vie]…

[.oO]…Oo.(通称ゴン団)のNJ石


●この頃の思ひ出

Pub16の対人は末期的な閉塞感が漂っていた為、AoS導入によりまた対人が面白くなればいいなぁの状態でUOを継続しました。

この頃は同じ会社(リアル)の人たちでUOを遊んでおり、マラス解禁日はなんと6人も有休を取る (笑)
ある人は10時間全くログインできずに不貞寝したり、またある人はそこそこの家を建てられたり。私自身は18*18土台建設に成功しましたが巻き戻りで失ってしまい失意の底からAoSを開始しました。

さて、AoS導入と共にtakimoto復帰。よっしゃここはキャラを作っておき楽PKでもしようぜというノリでしたが、takimotoはカスタマイズハウスに補完していた大量のインビジ、テレポリングが取り出せなくなりそのまま引退(泣)。

仲間が居なくなった私は仕方なしに適当に装備をかき集め、一人単騎PKK(PKを嫌悪していたのはUO:R前までで、この頃になるとPKでもPKKでもどっちでも良かったのですが本来の私はPKK派でした)を始めました。

で、暫く単騎で過ごすあくる日、赤P0Pの誰かと1onしていたら同じくP0PのGM、kamyu氏が突如乱入、殺されてしまいました。で、kamyu氏がChaos神殿にGateを出してくれたのでくぐるとそこにはGAUのkeenさんが! keenさん曰く、活動を停止していたGAUがSHにて仮想Warに参戦する準備をするので一緒にどうですかと誘われ、単騎もイマイチつまらんなと思っていた私は二つ返事で合流させてもらいました。

というわけでGAUへ。デシWar時代のWar guild、YouのsorauさんがGM。GAUとYOUでGYU(笑)となり、牛になった私はモーモーと仮想Warを開始しました。

GYUは、Memberには恵まれたのですが、正直肝心かなめの戦場自体が模擬的であった為かモチベーションが上がらずウダウダとやっていた所、[~e~]のIRCにギルドPNXのTHUMBとKurtがやってきてSadow Baneなるゲームにtakimotoをスカウトしに来た為、私もそれに乗りSBへ旅立ってしまいました。GYUの皆さんゴメンナサイ。

それからの3ヶ月間、UO以来のハマリっぷりで夢中に遊んだSBも、正式サービスを開始するとともに大いに廃れてしまいました。そこでSBからUOに戻るという選択をしたのは私と、SBで合流した伍長(H+)。
その頃はVashとkenrouもUOに復帰し、何をするにもまずは装備だなって事で、皆でDoomへ通う日々。Yamato誕生と共に産声を上げたLSD(正式名称Last Survivors of Doom [LSD])はここにきて、その名の通りDoomギルドになっていました(笑)。

しかし結局、Vashはリネージュ2、kenrouはリアル多忙により再度隠居、伍長ともUO活動時間が合わなくなってしまい、装備を整え終わった私は、仕方が無いのでまたしても寂しく一人単騎PKKを始めました。
その頃のPK GuildはBK、GML、AR0、GKN等。
走るよりもテレポートで移動した方が早いという、もう魔法というより超能力のようなFC5超速コンボメイジを相手に、FC5パラディンヒールで凌ぎ馬鹿モール0.5秒張り付きで殴りつづける日々でした。
●年月表

(2004.7)Publish25(FC武器ダメその他各種プロバ上限設定、ディザーム不具合修正)
(2004.7)WGW25開催
(2004.7)UXO開発中止・6番目のキャラスロット追加サービス開始(日本)
(2004.8)全日本サーバー転移
(2004.8)HANABI War
(2004.8)Publish 26
(2004.9)Publish 27(パラゴンシステムとMAF実装)
(2004.9)7周年記念パッケージ発売(米国のみ)
(2004.9)7周年記念アイテム配付
(2004.10)名誉の徳システム導入


●流れ

Pub25は、それまでオーバーパワーだった仕様に対して
対病療法的に大幅Nerfしたパッチ。対人が極端に盛り下がった。

総じて近接戦士弱体化
・武器ダメージ最大100%、速度上限が50%、命中、回避合計45%。
・武器振り最大速度が0.5秒から1秒に。
・盾でSPMをブロックされてもマナを消費されずになる。
・SPM3秒以内に使うとマナ消費が2倍に。
・両手持ちの武器をdisarmできるようになる。
・Disarmされた魔道武器はすぐに再装備できなくなる。

メイジも弱体化
・盾ブロックの成功率がDEX依存に。
・FC最大2制限

近接戦士絶滅間近へ。一方、MageのFC適応値は2までとなりFC5時代が終焉を迎える。圏外、圏内問わずFC5のスピード感を楽しんでいたメイジ達もまた引退していった。


●当時のWar Guild

[CrS]…

[ETC]…

[*IV]…

[J+U]…2つの派閥Guildが合体しNJ参戦。

[P0P]…


●この頃の思ひ出

(2004.7)
Publish25。近接戦士の受難ここに極まる。

UO神は、メイジからの怒涛の攻撃に絶えながら馬鹿モール0.5秒振りでメイジの詠唱を潰し殴りまくるバーサク戦士な私にとんでもない試練をお与えになりました。

0.5秒振りが出来なくなりました。しかも、速度+50%制限により、元々速度+75%のThe Berserker's Maul(通称、馬鹿モール)のプロパティが意味を無くし、その名の通り馬鹿モールになってしまいました。
あんなに戦術を考え、0.5秒振りを実践する為のアイテムを膨大なお金と手間を掛けて揃えたのに嗚呼何たることでしょうおよよ。そして極めつけは、両手武器(右手属性の武器)や魔道武器プロパ付き武器がディザームされてもすぐ武器を持ち直せる不具合の修正。どういうことかというと、今まではDisarmを受けたらWandや魔道武器等を持ち直し凌げた為、Disarmは有効活用されなかったのですが、この不具合の修正により、近接戦士がワンドメイジに殴りかかるとDisarmされて武器を落とされ、ダメージソースが無くなった戦士は成す術無くメイジに追われるだけになるというありさまになってしまったのです。

これにはさしもの私も参り、長年撲殺戦士スタイルにこだわり続けたPvPの志が遂に折れてしまいました。

さて、根本的なskill変更を余儀なくされてしまった私が着目したのは、Publish25で追加された新AF緑弓により可能になった走り弓。当時はUOML弓最強時代ほど強くなく、走り弓にする為には沢山のデメリット(高DEXキープによるSTR犠牲や装備の犠牲その他)を抱えなければならない状態でした。そんな状態でも、走り弓は戦士最後の砦だった為、5年連れ添ったメイスを捨ててまで弓の導入を決意しました。我ながらよくやるなぁ…。

(2004.9)
走り弓完成。

で、キャラ的には単騎より集団向きなので、集団しようかなぁ…でも仲間は全員引退しているし、ここは一丁新天地YGWに参加して集団に生きようじゃないか!と思い立つ。

で、当時のYGWはP25の影響で盛り下がりまくり。I*Pは単騎向けだったのでここでは除外するとP0P,CrS, IV*,ETCの4guildのみ。
P0PとCrSは一般公募して居なかった為、*IV,ETCのどちらにしようかなぁと悩んでいた矢先、PITでたむろしていたbigaさん(元PKでPPP,APG系)に遭遇し、強烈にCrSに入るようにと薦められた私はおおそうですかという事でタノモーの精神でイキナリCrSのIRCに出向く。
GMのKall-Suさんはすでに隠居しており、其処に居たのはCecilia(S3系)さんやmat(LKF系)さん。私の入れてくださいというお願いにOKが!

というわけで、私にとっては久しい、完全新入りとしてCrSに身を寄せました。いやー死にましたね。YGWはFC5終焉により盛り下がりまくっていたものの、他のご多分に漏れずNJの洗礼を受けました。この頃は既にHP濁が主流になりつつある中でDEXにステータスを割く為HPは100のままというのもあり、P0Pに一日13回とか殺される始末でしたとほほ。NJ Warは2秒巻きでも回復が間に合わない即KILLの世界でした。スキル構成大失敗だなぁという事で、包帯を捨てMageryを導入し回復手段をGH Wandにするまでの間、殺され続けましたとさ。

ちょうどこの頃、イベントであるHANABI Warが開催されたのでそのままCrSで参加しました。
●年月表

(2004.11)Ultima Online: Samurai Empire(武刀の天地 通称:UOSE)発売、
      ソウルストーン導入

(2004.11)Publish28(ナーヴストライクのNerf(弱体化)その他)
[2005.1]Publish29(ワンド連続使用に制限。弓の走り打ちが不可能に。その他)
[2005.2]Publish30
(弓の走り打ちが再度可能に。その他)
(2005.3)Publish31(DSと弓の変更、ネクロ魔法追加その他)
(2005.4)ソウルストーンフラグメント導入
(2005.5)Publish32
(2005.6)Publish33
(2005.7)Publish34
(2005.8)ブリタニア観光案内所閉鎖
(2005.8)Publish35


●流れ

Pub25でひとまず落ち着いた仕様をぶっ壊した新しい波、それが武士道と忍者。

武士+盾skillを所持した状態で使用すると、魔法含む全ての攻撃を高確率でいなしてしまうイベーション(この時は弓の攻撃に対しては回避できないBugがあったがキャストしながらでもイベーションが出来た)。
麻痺6秒解除不可打撃のナーヴストライク、マナ消費が少なく命中率+45、20%程度の確率で抵抗無視ダメージを与えるライトニングストライク。忍者のデスストライク70ダメージといった新技がことさら強力であった(因みにその後、これらの技はことごとくNerfされていった)。

また、瞑想を装備で補い、そのskillで新たなダメージソースを確保するキャラクターメイキングが主流になってきたのもこの頃。


●当時のWar Guild

[3S]…

[AHAw]…

[AWA]…Asuka出身ギルド。

[cu']…Wakoku出身ギルド。

[CrS]…Kull-Suさん引退に伴いAmnesia(Cecilia)さんがGMに。

[ETC]…一旦活動を休止するも、popy氏の新体制によりWarを再開した。

[K0Z]…KoZから改名。

[lego]…

[P0P]…

[PvP]…

[r21]…FoEの後継

[SOUL]…復帰したMOMOTEN氏が率いていた。

[Stil]…

[T$T]…SHWarからの参戦。


●この頃の思ひ出

Publish29で走り弓が出来なくなりました…。

AoS以降、目指したskill構成と装備の悉くがNerfされ続けているのに流石に疲れました。
そしてその度に装備やskillを根本的に見直さなければならないのですが、装備依存の戦士にとってはメイジ以上に尋常ならざる金がかかり苦痛。
また瞑想を装備で補い、更に構成が多様化していくメイジに比べてskill選択の幅がいよいよ狭まり、相対的にメイジに比べ戦士が弱体化していく流れにいい加減馬鹿らしくなりました。
折角のUOSEも膨らむのは期待感ではなく焦燥感ばかり成り。

また、及びリアル環境の変動でNJの開始時間は大体24:30~ピーク25:30という戦場には出られなくなってしまった事情と相成りCrSを脱退しました。
CrSは硬派且つストイックで、強さに拘る意識が高く圏外にも積極的に出て行く(P0PとCrSがWarGuildの中でも別格なのは、YGWだけでは由としないそのスタイルにあると思う)、心地良さすら与えてくれたギルドでした。CrSの益々の繁栄をお祈り申し上げます。

…というわけで、幾つもの時代を見送ってきた戦士SURENも遂に退役を決意しました。退役軍人らしく、残りのUO人生はマッタリ余生を過ごそうと隠居生活を楽しもうと思いました。そう、その隠居生活とは…


UO三国志!!


元々Asukaが起源のUO三国志。
1999年夏頃かな。三国志ネットゲーム武勇伝からAsukaに流れた知り合いが活躍しており、三国志好きな私は、楽しそうでいいなぁと思ったものです。その数年後にYamatoにも三国志が誕生しましたが、当時はキャラクターネーム変更などという便利なサービスは無く、また大変だったskill上げをこなす気力も無く、参加する事は無かったのでした。
しかしこの時期、SURENも退役し、キャラクターネーム変更サービスやソウルストーンによるskill移動が出来るし、UO三国志への敷居が低くなったこともあり、また、私のUO人生において、数少ないUO上での生き残りである友人GotsutotsukotsuもUO三国志に参戦しており、また予てより誘われていました。で、良い機会なのでやってみようという事でUO三国志の世界へJoinしました。

こうして、SUREN【APS[GM]→DAP[GM]→LSD→KKB→~~~(MGN)→~e~(MGN)→GYU→CrS】はSOUZIN【Gi!】と改名し、三国武将曹仁として新しい人生を歩むこととなりました(笑)
●年月表

(2005.9)UltimaOnline:Mondain's Legacy(宝珠の守人 通称:UOML)発売
     冥府の軍馬導入
(2005.9)Publish36
(2005.9)八周年記念アイテム配付
(2005.11)Publish37
(2005.12)Publish38
     イグノア、ライトニングストライク等の属性抵抗値無視ダメージ最大値が35に。
     WoDはカオスダメージに。
     STR、DEX、INT上限が150に。
(2006.2)Publish39(8×8グリッド上げ廃止その他)
(2006.3)Yamato 4on大会
(2006.4)新ターゲットシステム導入
(2006.5)YGW2006WAR

●流れ

新種族エルフの追加、エプロンやメガネ等のAFや図書館コレクションアイテム追加。HP濁装備に拍車が掛かる。
弓ルニックやクエスト等で弓装備の大幅強化及び神武器氾濫。そして新skillのスペルウィービング(以後SW)導入。
SWの魔法であるWoDはBugで単発最大92ダメージ…。
圏外は弓戦士だらけに(たまにWoD使い)。

弓戦士の名誉イグノア走り打ち2連等によって圏外はいよいよ衰退。
そしてnya!など他シャードから戦場を求めて圏内YGW参戦するギルドがいよいよ増えてきた頃(しかし定着はしなかった様子。残念)。


●当時のWar Guild

[3S]…

[a-n]…

[CrS]…

[cu']…

[ETC]…

[jony]…Oo.(通称ゴン団)のNJ石その2

[K0Z]…

[nya!]…Asukaから遠征に来たGuild

[P0P]…

[_R21]…

[Stil]…

[T$T]…

[odaq]…

[*IV]…


●この頃の思ひ出

UO三国志を遊んでいました。UO三国志は殺伐としたWarではなく、三国志を題材としたRole Playing Warといったところです。
和気藹々と3ギルドが決められたルールで戦うだけでなく、交流やイベントも盛んに行われています。暴言や醜い煽りあいが通例となっているフェルッカ対人ばかりをしてきた私からすると、UO三国志のユーザーは良プレイヤーの巣でありオアシスです。戦そのものはルールがとてもしっかりしている為、独自の遊びとして楽しめます。
最初持っていた私のイメージとしては「不利と見せかけて細い路地に誘い込んで伏兵」や「鶴翼の陣~」とかで遊んだりするのかなと思いましたがそんなことは有りませんでした。はっは。

で、UO三国志で遊ぶことになったわけですが、それはそれ、これはこれ、レギュレーションはレギュレーション。どうせUOするならば、やはり無制限対人でも遊びたい、でも戦士はもはや馬鹿らしい。戦士がダメならメイジですな!というわけで、Deci War時代に作った書写スタンメイジを再びAoS仕様に直し始めました。

キャラクター名はOGORES(オゴレス)です。名前の由来はボコスカウォーズ以下略なのですが、まぁとにかく名前が悪そうなので、悪そうといったらPKだよね(←?)、ということで自分の好きな時に出来るお気楽PKの道へ。本当はWarに戻りたかったのですが、YGWは開始時間が遅すぎるし、リアルの都合からして廃人プレイはいかんせん無理でした。

で、折りしもUOMLが導入され、弓が強化されたので、その対策として盾書写ワンドメイジを作り単騎PKを始めるも、確かに四方八方から飛んでくる弓に対しては固いのですが、ダメージソースが魔法だけ、おまけに単騎、更に慣れないメイジではゲット率はイマイチ。そこで、火力ある忍者書写ワンドメイジに、装備はHPと回避濁装備に変更。

GotsuをPKに誘ったら来てくれたので、2人でPKを始めてみたものの、強力な弓に殺されまくる始末。若き日の「強きを挫くぜ!」といった嘗ての気力は始から既に無く、というより殺しても殺されても何の感情も湧かないという酷いモチベーションで、更に死亡時の馬復活がだるいのなんのって。結局すぐにPKを止め、そのままそのメイジは冬眠に入りました。

(2005.12)
Publish38導入。イグノア弱体化。戦士は相変わらず受難の日々。
この頃は完全な隠遁生活を送っており、毎週土曜日に行われているUO三国志にだけ細々と出ているだけの状態でした。多忙な身としては週1というのはとてもありがたい。

(2006.3)
交友関係にあるPNX(中小War規模時代参照)からの誘いに乗り、takimotoと共に別MOPRG「Guild Wars」へ旅立ちました。Guild Warsを楽しみつつ、毎週土曜日はUO三国志オンリー生活を送っていました。
●年月表

(2006.5)Publish40導入
(2006.6)YGW40開催
(2006.7)Publish41導入
(2006.7)PREYGW発足
(2006.8)HANABI WAR 2006開催
(2006.9)Publish42導入
     ・イベーション使用に武器スキルが必要に。
     ・新長期褒章導入。
     ・ライフリーチ、マナリーチ計算式変更その他。
(2006.11)Publish43導入
     ・魔法スキルが70以上の場合騎士道のFC上限2に。
     ・イベーションの効果時間にTactics,Anatomyが影響
     ・盾スキルのDEXによる受け流し成功確率のペナルティー導入
      ⇒武士盾メイジ、素手盾(FC4)メイジNerf
     ・6ヶ月報奨(ステータス+5)追加
(2007.2)Guild PIT 更新停止
(2007.5)Publish44導入
     ・3Dクライアント廃止
     ・武器学スキル変更
     ・ニューヘイブン誕生その他
(2007.5)Publish45導入
     ・ポーションがスタック可能に
     ・騎士のファストキャストバグ修正その他
(2007.6)Ultima Online:Kingdom Reborn(甦りし王国 通称:KR)発売
(2007.8)Publish46導入
(2007.10)Publish47導入
(2007.11)Publish48導入
(2007.12)HEVEN WAR開催
(2008.1)Publish49導入
(2008.2)Publish50導入
(2008.3)Publish51導入
(2008.5)Publish52導入
(2008.6)Publish53導入
(2008.7)Publish54導入
(2008.9)Publish55導入
(2008.10)Publish56導入
     ・派閥への参加特典として派閥AF、派閥消耗品など導入その他


●流れ

Publish25に続くNerfパッチ。それがPublish40。
当時導入予定であった対人関連の変更(逓減制は廃止。代わりに熟練制が発表された)は先送りされ、既存のバランス調整が行われた。

・新ターゲットシステムに、Hostile(プレイヤーにAttackをしている対象をターゲットする敵対ターゲット)切り替えマクロの機能が導入された。
・強化/弱体効果アイコン登場。
・スクロールと魔法を併用したEXの重ねがけが不可能になった。
・武器の攻撃速度のバランス調整。武器の攻撃速度は秒単位で表示されるようになった。
・Backstab、Focus Attack、Ki Attack、Momentum Attack、Evil OmenのNerf
・パーフェクションと名誉の特のダメージボーナスがプレイヤーに対しては影響しなくなった。
・Honarable Executionはプレイヤーに対して機能しなくなった。
・wand使用中はキャラクターが動けなくなった。
・UOAの同機能より高性能な、UOの包帯自動巻きマクロ登場。

騒がれていた新ターゲットシステムは、フタを空けてみると
対人において一番大事な遭遇時のタゲ合わせには有効活用
出来ない仕様だった為、特に大きな影響を及ぼす事は無かった。

また、UO初期から続いたEX(スクロール)>EX(詠唱)重ねがけ詠唱技が遂に過去のものとなってしまった。

Pub40で大きな所といえば、弓とwandの大幅Nerf。弓も確かに弱体化されたが、メイジはwandによる走り回復が不可能になったためディザーム→弓DS+ムービングショットだけで殺されてしまうという事態になり、武士ヒール導入、素手盾導入、POT強化といった、wandに変わる回復手段の確保や、そしてより一層の打撃対策(ナーブ、弓その他)が重要となった。
また、ダブルワンドによる追撃も不可能となった為に火力確保も課題に。
何れにせよメイジは大幅に弱体化し、相対的に包帯が使える戦士やFC4ヒールが使える青ネームは地位が向上した。


●当時のWar Guild

[3S]…

[AFO]…他シャードからの遠征とか。

[Adt]…

[Blow]…

[CeS]…

[CrS]…

[Chu']…

[Cowt]…

[Cu']…

[DE:9]…

[dv']…

[ETC]…

[+h]…

[H.N+]…

[*IV]…

[MARZ]…

[MGR]…

[NEX]…MOMOTEN氏がIPの一部を率いて独立したギルド。

[POP]…

[_R21]…

[odaq]…

[Owl]…

[pu-]…

[_S_]…

[sk'2]…

[*UX*]…

[.vS^]…

[XeX]…

[*]…

●この頃の思ひ出

(2006.4)
春になり、メイジOGORESが文字通り冬眠から目覚める(笑)

別ゲームGuild Warsからまたしても一人でUOに戻ってきた私。
で、またしても対人がしたくなってきました。

Warは時間が固定なのでリアル事情からそれは辛いしAct不安定は所属先のギルドにも迷惑が掛かるので、やはり自分の好きな時間に活動できる圏外に絞る。永久レッドネームを使うのでPK活動です。
で、死亡時の馬復活がだるいし、単騎は好きですが単騎のみだとイマイチ盛り上がらないのでPKギルドに入ろうと志しました。

そこで、以下の条件に合うPKギルドを探しました。

・Actを強要せずともActが安定しておりGuild活動が活発
・暴言禁止(いわゆる厨とは一緒に遊びたくないので)
・不正ツール利用の噂が立たない(チーターは論外)
・PS活動よりPK活動を優先する

等々。PKGuildは数あれど、この条件を全て満たすGuildは私の目から見てGMLのみであり、行く先迷う事無くGMLに決定!GMLとは縁も所縁も無く、また一般公募もしていませんでしたが、何時ものタノモー精神でGMLの門を叩いたのです。

結果…GMLの皆さんは快く迎え入れてくれました!
ここにOGORES[GML]誕生です。

で、元々少ないゲーム時間を有効活用すべくUO三国志は引退しました。
UO三国志のますますの繁栄をお祈り致します。

さて、圏外は戦士だらけになったPub40において、私は相対的に弱体化したメイジです。
私は結果的に、常に流行に逆行し続けているな…。と思いつつ忍者書写メイジだったOGORESをEIMageResi素手盾忍者にリメイクし、リハビリしながらP15のMgn時代以来の集団PK活動を開始しました。当時の敵はOo.&BK!、Rha、J$D&BOF、Bomb、DNP、Fly、D!!E等々。Guildカラーで敵味方を判別していたWar畑の私にとって、黒服だらけの圏外は敵味方がぱっと見で識別出来なかったり、PSの地理の把握が大変でした。

(2006.8)
HANABI WAR 2006開催。私は当然GMLでの参加となりました。参加したチームは、MASAYUKI氏[P0P]の統率により非常に良くまとまっており、Actも終始高かった事から快勝。
そして…Yamato大戦の名を語るに相応しいラグでした(笑)。
とはいえ、当時のYamato大戦なんて酷い時で5分以上画面が全く動かず、Server側では動いている召還と弓により、死を待つだけの死に待ち大戦であった当時と比べるとよほど上等であり、ラグに文句つけるのは贅沢というもの。それに過疎化久しいYmtにおいて寧ろラグを楽しめる余裕を持ちたい。
La氏を始めとした主宰の皆様、大変お疲れ様でした。

(2006.9)
素手盾忍者と武士盾メイジをいったりきたり。
実戦しながらスキルや装備の調整が続いていました。

そして。

この当時の圏外はOo.&BK!&D!!E(GTM3,AR0)、Zeus、Rha、BOF(J$Dは一足先に移転した)、Bomb、DNP、Fly、そしてGMLといった情勢でしたが、停止していた転送サービスが再開されるや否や…。

Oo.→Mzh
BK→解散
DNP→Mzh
Zeus→Mzh
GML→Skr
D!!E&GMT3→アリラン
Bomb→残留
Rha→残留(2006年11月頃Wkkに出張した様子)

なんと、殆どの圏外GuildがYmtを離れてしまう。
まさにYmt圏外の原状を象徴するエピソードです。

我らGMLはSkrに。腐ったYmt(圏外)ですら愛する私の心情としては残りたかったのですが、私を入れてくれたGMLに対する恩と、ギルドの一員としての渡世の義理から、GMLと共に私もSkrへ遠征する事にしました。

(2006.12)
冬になり、メイジOGORESに冬眠の季節が訪れました。

メイジの練習をしつつ、スピードハック対策されてから本腰入れてゲリラ(勿論集団も)を行おうとしていた私にとって、スピードハック対策ツール導入の無期延期は私のモチベーションをどん底に突き落すのに十分な発表でした。
Act出さないのではGuildに申し訳ないので、心苦しいと思いつつGMLを脱退し、Ymtにキャラクターを戻ました。またやる気が出てくるまで冬眠に入ろうと思います。

GMLは、対外的プロパガンダや立ち回りがお世辞にも上手いとは言えないギルドでしたが、対内的にはギルドメンバー皆の献身さによりしっかりとした協力体制が確立されており、メンバーの意見や意思を尊重し、その為か脱退者が殆ど出ない、絆を大事にするとても良いギルドでした。
色は匂へど散りぬるを
我が世誰ぞ常ならむ
有為の奥山今日越えて
浅き夢見じ酔ひもせず

【語訳】
香りよく色美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。
この世に生きる私たちとて、いつまでも生き続けられるものではない。
この無常の、有為転変の迷いの奥山を今乗り越えて
悟りの世界に至れば、もはや儚い夢を見ることなく、
現象の仮相の世界に酔いしれることもない安らかな心境である。


平安時代末期に流行。いわゆる「いろはにほへと」です。
『涅槃経』の「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」を表すと言われています。

ブログテーマであった栄枯盛衰どころか結局の所、私が言いたかったのは
仮想世界は勿論の事、Warという舞台においても諸行無常な事に変わりはありません
という事に尽きるのかも知れません。
諸行無常:「この世のあらゆるものはすべて移ろい行く」の意。
「形あるものは必ず壊れる」というようにあらゆるものは生じそして滅するという理。


はてさて、1998年9月に日本サーバーがオープンしてから10年もの月日が経ち、
当時は学生だった私も就職し、結婚し、子供も出来、順調にキャリアを積んでおります。
昔と違い、ゲームに没頭できる環境ではなくなってしまいました。

そして、2006年に冬眠してから今になってもUOに復帰をしたいとは思いませんでした。
よって、日本サーバー10周年という節目である2008年9月に、それまで一度も止めていなかったアカウントを遂に停止しました。
復帰しない理由。それは明らかに「スピードハック」です。
この問題も解消されれば戻ってくる(かも)です。。
もしくは、UOのサービスそのものが終了する事になれば、最後に戻ると思います。

兎も角、私のUOにおける冒険は幕を閉じたわけではありますが、
次の10年の語り部の出現(当ブログの転載はフリーですよ)に期待しつつ、
Yamato Felucca史の更新を終了いたします。

このようなマイナーなブログをご覧頂いた方や、ご指摘頂いた皆様に感謝します。
ありがとうございました。

それではまたでお会いしましょう。何処の仮想世界の、彼の地にて。

See you again!Adios!再見!安寧!Bye Bye!
By SUREN


P.S. 新しい仮想空間が待っているかもしれない為、ブログそのものはチマチマ更新しますヨ。


UO中にかじっていたのはメインコンテンツである「UOにおけるWarの歴史」以外では、EverQuest(PvP鯖),ファイナルファンタジーXI(βのみ)くらいですね。

下記は、その本文後の話となります。

(2007.7)
なんとなく目についた、ハンゲームで提供しているアークロードを妻と共に遊ぶ。
私にとって初の韓国産MMOだ。これが案外面白く、半年ほどどっぷりはまってしまう。
しかし韓流ゲームはLevelingの辛さや次から次へと販売されるアイテムでずいぶんとリアルマネーを投資してしまった。今までやってきた洋ゲームの「育ててから遊ぶ」というスタイルではなく、レベル依存の廃人プレイを要求されるので色々な意味でしんどかった(いや別にマイペースで遊んでも良いんだろうけど、上見がちな私としてはちっとね)。基本無料は危険だ。

余談ではあるが、UOで果たせなかったLSD復興の夢をこのゲームに託した。
当方は、当時サーバー最高レベルのプレイヤー達を終結させた質実共に最強の巨大ギルドのマスターとして精力的に活動、
2つの同盟ギルドと結託し80人程度を率いて、敵対勢力とサーバーをまさに二分する闘争を起こした。「アークロード」にはなれなかったものの城主にはなった。1時代は築けたと思う。
▼更新停止。アークロードで頑張っていた頃の当方のブログ
http://allsd.blog114.fc2.com/


(2008.5)
Guild[PNX]に混じってAge of Conanを遊ぶ。超が付くほどの非常に荒廃したオドロオドロシイ世界観のダークファンタジー。ありとあらゆる死体、ありとあらゆる肉塊、ありとあらゆる処刑方法で斬殺された死体、死体、死体の山!「誰々探して来い」クエストも8割方NPCが無残に死んでいる!!
PvPも妙にこっており、さながらリアルモータルコンバット。とどめのモーションがえぐいのなんのって。首が文字通りすっ飛んでったり、マウント乗りで頭を「本当に」潰しあう様は一見の価値あり。
速効でレベルキャップである80までにして仲間と共に暴力性を解放し、PvPで暴れて飽きて辞める。


(2008.9)
WarHammerがようやく発売された。3年は待った気がする。しかしリアル都合でほとんど遊べず。


(2009.4)
Darkfall Onlineのアカウントが手に入った。やっぱりGuild [PNX](Neo Punks)に混じって遊ぶ。
UO+ShadowBaneなシステム。これはつまらないわけがない!
…と勇んで遊んでみるも、ゲーム云々以前に3D酔いが酷くてお話にならず。


(2009.6)
AIONに挑むも、前評判ほど面白いとは思えず、すぐに辞めてしまいました。


(2010.9)
SOULALIVE ONLINE(略称SAO。私が大好きなソードアート・オンラインとは関係がない・・・多分w)を遊ぶ。
私にとって初の台湾産MMOだ。台湾産を侮るなかれ。これがまた良く出来きており、どっぷりはまってしまう。
しかし…。やるからにはとことん上を目指してしまう私。
スタートダッシュを決めてサーバーでただ一人に与えられる最強「天上天下」をゲットして、そのまま去るw

その後はサブキャラでは「新撰組」というPKギルドで遊んでいました。PKギルドですから当然の事ながら外から見たら果てしなく素行は悪いですが、贔屓目に見ても中から見たらとても良いギルド。「PKとは何たるものか」を良く理解しており超高Actでした。
居心地がよく定住するも、やはりリアル都合で引退。


(2011.8)
TERAにチャレンジ。wktk感がない。初日で辞める。


(2011.10)
Wizardry OnlineのOBTにチャレンジ。ゲーム云々以前に3D酔いが酷くてお話にならず。初日で辞める。


(2012.8)
ドラゴンクエストXが発売される。1G=1円というゴールドラッシュが話題となったが、PvP無いでしょどうせってことでスルー。
しかし!同僚からプレゼンテーションの如き小一時間に渡り進められ、興味が出てきてドラゴンクエストⅩを始める。
成程・・・過去MMOを踏襲しつつ、ダメな部分は独自の改良と工夫で満載、それを可能とする技術の集大成。これは、唸った。
私から見たら、ビジネスモデル特許の塊であった。

・自身のオフライン時にNPCとして酒場で他人に雇ってくれるサポートシステム(特許庁HPで出願確認)
・元気玉システム(WoWの発展系。ログアウト時間蓄積で経験値ブースト)
・ありがちな前衛タンク職のヘイト管理とは一線を凌駕する独自のアプローチ、「重さ」による肉壁要素。(特許庁HPで出願確認)
・「怒り」によるヘイトコントロール。(特許庁HPで出願確認)
・月額制でありながら低年齢層を意識し、無課金でも一日2時間ほどログインできるキッズタイム。
・オンラインゲーム初心者にもわかりやすいチュートリアルでのフォロー。
・ありがちな「横殴り」が発生しないシンボルエンカウントシステム。
・FF4のアクティブタイムバトルのような、DQ9的コマンド戦闘方式。
・MMOには案外なじみがない、充実したストーリーが織りなす「冒険感」。
・アバター、ハウジング、カジノ、釣りといったサブコンテンツの作りこみ度と充実度。
・クラウド技術による3DS連携やスマートフォン連携。公式HPとの連動
・・・etc

当方はWii、WiiUで4垢でやってメインキャラは当然廃人仕様。また全カテゴリの生産全てを熟し、
住宅村の1エリア(グレンの雲上エリアの7物件)を一人で独占するくらいハマった。

ただ…インフレ対策が徹底しており、あらゆる手段でゴールドを消費させようとする。
それ自体はとても施策なのだが、熟すべき「日課」が徐々に増えていき、それが徐々にストレスとなる。
「日課なんてやらなきゃいいじゃん」。それはその通りなのだがゲーマーの性(さが)がそれを許してくれなかった。
Ver1.1まで遊び倒すも、Ver1.2で苦痛を覚え、当時はコンテンツも少なく遊ぶ事が無くなって、Ver1.3でフェードアウト。


(2013.12)
再びドラゴンクエスト10へ。Ver1.5[後期]にて、コロシアムというPvP要素(4vs4のDule形式)が実装されるという事なので復帰するも、運だけが全てを決める、ゴールの見えない不毛な努力をさせられる「アクセサリー合成」なるコンテンツに嫌気が差してバージョン2.3の時にまたしてもフェードアウト。


(2014.8)
友人に勧められ、新生FF14をプレイする。3D酔いでお話にならず、20分で離脱…。


(2015.1)
遊ぶMMOがいよいよなくなった!

実はUOは課金し続けていたのですが…、クレジットカード交換による有効期限切れで、
家がどうなっているのかを把握すべく、UOにINしてみました。
Fブリ1銀でINした途端、新仕様らしきシステムが導入されたのか、ログインしたら目の前にレッドネームがいて
いきなり殺された。フェルッカとはいえ、相変わらずのバイオレンスゲームw

我が家であった当方のミノック沖の18×18の土地と全財産は当然ながら無くなっており、
跡地には、パッチレアだった筈の砦がドカンと建築されていました。
流石に萎えました。財産とAFは兎も角、ソウルストーンに詰め込んだスキルがごっそりなくなっているほうがダメージでかかったですね。。。

兎も角、JhelomのDuel Pit。誰もいない。YGW。コアタイムでも誰もいない。

心機一転、新規キャラクター作ってニューヘイブンに降り立つも、人っ子一人いやしない。

しょうがないので、Fで殺されたマイペットを復活させてもらうべく、Tブリ1で待機するも、やはり人っ子一人いやしない!
で、当時は辻テイマー蘇生者が居た最初にTブリ1銀でぽつーん。
30分待ったら第一村人発見!何も言わずに蘇生してくれました。

その後、特にやることもなくTブリ1銀でぽつーんとしていたら、第二村人発見!
その方に声をかけ、「今のUOはどこに行けば人が居ますか?」と尋ねたところ、
ゲート出してくれた先はマラス大陸のユーザー酒場。
そこで久々のUOの人の温もりを感じていたら、ちょうどそのとき、Webラジオ開催日という事らしくそのまま開催!

ラジオを拝聴しつつ、今のUOはすごいなあと感心しつつ、飲んだくれの戯言で、
「いやー、ログイン直後で殺されるし、家も財産も無くなるわでどうしようもないっすわー」
というお話をさせてもらったところ、その場にいらっしゃった8名ほどの皆様方が、
新仕様のAF装備をいくつか、タダで恵んでくださいました!

そのままSkypeに参加しないか?というお誘いを受け、慌ててボイスチャットとSkypeを用意して、
目まぐるしく進展していく中で、更にはUOMIN(うおみん)というSNSにご招待頂き、
流れるような展開で目を白黒していましたが、いきなり復活の目途が立ちました。

あまりの急展開で、お世話になった方のお名前も記憶できず、
Skypeでも顔と名前が一致せずで付いていくのがやっとでしたが、
なんとその中に、UO黎明期から4コマ漫画で名をはせた、知る人ぞ知る?
「むらさきうに」氏がおり、直接お話しさせて頂き、感激した次第でございます。

同時に、LSD最古の戦友、「MaiMai」夫妻にお世話になりましたが、
変化しすぎなUOに着いていけずINしなくなりました…ごめんMaiMai夫妻!!!!!


(2015.6~)
遊ぶゲームが無い!暇!ということで、なんだか飛竜に乗って空を飛べるようになったとの事で、
暇つぶしにドラゴンクエストXに復帰。1年ぶりだ。
これがまた…大幅なストレス部分の緩和や、驚くべき進化を果たしていた!

一言でいうと「日本人の日本人による日本人の為のトラメルUOより遥かに上を行っていた。
チーム戦だけど、PvPもある(ここだけフェルッカの香りが微かにするが、所詮はただのスポーツ、PvPは適当に遊んでます)。

現在も継続プレイ中です。
当ブログの「思ひ出」をご覧の通り、私はネットゲーム黎明期からの
ネットユーザーな為、自身のゲームとリアルの実体験を元に、コラムなどを書いてみたいと思う。
(本当は、更新しないと当ブログの上部に出る
スポンサーサイドリンクを取っ払いたい為だったりするが)

さて初回となる今回は、いきなりヘビーな「台湾、韓国、中国」について語ってみたいと思う。
で、私の体験とその時の心象を時系列で語ってみる事にする。


【1990年代後半】(ネット上で欧米人?及び台湾人と韓国人とコンタクトしたあの頃)
それまで外国人とはリアルでは全く接点が無かった当方が、
UOを通じて英和辞書を片手に国際デビュー!

UOの海外サーバーでの外国人はとにかくひどい。私が日本人と知るや否や
「HIROSHIMA BOOM LOL」とかそんな感じ。他人にモラルとか期待しちゃダメ!

また、yamato鯖でバグ、チート、ハック、仕様の抜け穴、あらゆる手段を用いて
暴れ周る悪名高き台湾ギルドPoAを目の当たりにし、
「台湾人って怖え!超怖えぇー!」というのが最初の台湾人に対する感想。
同時に韓国人はUO上では善良でした。


【2000年代初頭】(リアルで韓国人および韓国企業とコンタクトしたあの頃)

韓国政府のIT産業後押しによりコンテンツ産業が飛躍的に発展してきた韓国。
当方の職場にも韓国人プログラマーが居る環境になってきた。
また、韓国企業とのビジネスが始まる。

が、情報リテラシーの急速な発展。特にwww(草ではない。World Wide Web)なるハイパーテキストシステムを
通じて、お隣韓国を中心としたいわゆる特定アジアの所業(※)を多くの日本のネットユーザーも知るところとなり、"合わせ鏡"のように反韓意識が芽生え、日本にも今までとは違う、妙なナショナリズムが育っていったあの頃。
(※)割愛。

実際に私(含む日本人一行)も、ビジネス上にも関わらず、とある韓国人にいきなり中指立てられたりとか有りましたよ、ええ。(別の韓国人が制止してましたが、後日談で、その中指立てた人は日本人が嫌いだった旨を聞く)

で、職場の韓国人Pさんに聞いてみた事があった。

私「Pさんは韓国生まれの韓国育ちで、反日教育を受けてますよね?
  ぶっちゃけ日本で働くのに抵抗は無かったんですか?」
P「実は、私も韓国にいる時はそうでした。が、日本に着たらそんなことは全くなくなりました。
  寧ろ、外からみた韓国は、何やってんだかなー、また馬鹿な事やってるなーという感じです」

とまあこんな感じ。
また、面白いことも聞いた。喫煙所での韓国人の同僚Iさんとのやり取り。
ネットゲームの話になり、UOの話になる。

私「私もUOやってましたよー」
I「おお私もUOやってましたよ」
私「マジっすか、どのサーバーでやってました?」
I「hokutoでしたね」
私「へー、hokutoとはまた妙なところ選びますね」
I「友人に勧められて始めました。韓国や台湾にサーバーが無かった頃、
  アジア人はみな日本でプレイしていましたよ。」
私「そうだったんですか、知りませんでした」
I「毎日のように台湾ギルドと戦争してましたよw」
私「え!hokutoでですか?」
I「ええ、台湾人を屠る為、ハルバードの2連激を毎日必死に練習してましたw」
私「だはは、まじすかw」

詳しい話を聞くと、hokutoサーバーを舞台に台湾人と韓国人が壮絶に喧嘩していたとの事。
へー台湾との争いってyamatoだけじゃなかったんだなぁと思った。

(その後、とある韓国企業との出来事)


東京の、とあるビジネスショーに出展していた韓国企業のビジネスマンとお話。
なぜかその商品(今でいうSNSみたいなもの)を紹介する際に、そのビジネスマン(以下:ビ)は
「UOみたいな」「UO以上に」を強調していた為、何となく話を広げてみる。

ビ「弊社の新コンテンツは、UOみたいな仮想世界をイメージして頂けるとわかり易いかもしれません」
私「左様ですか、私もUOユーザーでしたよ」
ビ「おお!実は私もそうでした」
私「おお!アナタはどのサーバーでプレイしていましたか?」
ビ「hokutoで遊んでましたよ。あの頃はまだ、韓国にサーバーが無かったので…」
私「………ひょっとして、台湾人と喧嘩してたりしてましたか?」
ビ「そう!そうなんだよ!あいつらさー!ひでーんだよ!
やる事なす事極悪すぎるよマジで!毎晩殺し合いシテタヨ!!」

私「わはははは(あんたもかい!)」

というわけで、hokutoで台湾人と喧嘩していた人とここでも出会う。
このやり取りは過剰表現でもなんでもありません。
ビジネスシーンで突然「あいつらさー!」と切り出したので更に面白かったです。
前述の、私の同僚Iもアナタと同じギルドだったかも
しれないですよみたいな話で更に盛り上がってしまった。

RPギルドと裸バシネットに溢れたネタサーバーhokutoにそんな一面も有ったとはなぁ…。
hokuto鯖の台湾人側からの話も聞いてみたいものだ。

ちなみに日本と韓国のビジネスは、お互い腹に一物もちながらも、
表面的には平和にやっていこうみたいな印象を感じですかねぃ。


【2000年代中頃】(ネットで中国人とコンタクトしたあの頃)

ネットゲーム「ShadowBane」のアジアサーバーでは、
東南アジア勢350人(たしかGMがマレーシア人) vs 中国200人+日本人50名での大合戦。

私が所属していたギルド「BadCompany」は日本ギルドの中では最も対人活動が激しく、
中国勢200名と同盟し、毎晩毎晩、東南アジア勢を相手に大戦争の毎日。
カタパルトを操作して相手のギルド街の壁を壊したり、
内部に侵入してハンマーもって50人がかりで1つの建物を叩きまくるとか、
もう「俺たちゃRTSの1ユニットかいなw」みたいな楽しい毎日を送る。

このとき中国人に対して感じたのは、民族の団結力と、同胞(同盟)に対する熱いフォロー。
ふむ、中国人や由。と思ったものでした。

ちなみに日本人は50人位の規模の4~5ギルドで、2chやしたらばで煽り合いの毎日。
「日本人で団結!」なんてのは夢のまた夢の話。なんだかなあ。



【2000年代後半】(リアルで台湾企業とコンタクトしたあの頃)

リアルでのビジネスが拡大し、台湾企業との接点を持つ。
台湾人とは会ったことの無い私。ちょっと怖いよー。
(PoAみたいなやつらばかりなのかなー怖いよー)

…しかし、すごく親日的で、フレンドリーであった。
しかも、何で日本のサブカルチャー(アニメ、漫画)に詳しいの?

更にはビジネスパートナーとしても超優良。良いね~。

あと、日本のITサービス(オンラインゲーム含む)よりもセキュリティが非常に強固。
プロバイダーと連結してのIPロックや、自身のPCでしかアクセスできない機能とか当たり前。
日本よりずっと進んでる。アカウントハック関連は日本の比では無い事を知る。

また、後年の東日本大震災の際にも取引先の台湾企業のCEOからのお見舞いメッセージもあり、
社員一同涙腺が熱くなったものです。(他国からは一切無かった)



【2010年代初頭】(リアルで中国企業とコンタクトしたあの頃)

リアルでのビジネスが更に拡大し、中国企業との接点を持つ。
これがまた酷い!何が酷いかって、もうね、文化が違うとしか表現できない。

「著作権?シッタコトカ!」
中国は万国著作権条約、WIPO加盟等は加盟してるはずなんだが、
各企業こぞって面従腹背。どこかで見たサービス、どこかで見た内容、どこかで見た画像、
どこかで見た・・・というオンパレード。何でもパクれ!指摘されても開き直れ!
※これねー、中国のパクリ具合が酷いのは皆さんご承知でしょうが、実際に関わると大変デスヨ?

「納期?ナニソレ!」
約束した納期を平気で無視する。で、人のせいにしてダラダラ議論をして納期がどんどん遅れる。
そのくせ、自身たちの都合の良いように契約内容を解釈して、交渉は何においても強気。

「面子を重んじる」
面子を重んじることは多いに結構なんだが、自分自身(中国人個人として)の面子が
立たないからって強引に物事を進めようとする。
また責任を他人(自社他社問わず)に押し付ける。
彼らは決して自分の責を認めない。企業単位でも認めない。認めて謝ったら負けだ!

「仕事より国慶節!旧正月!残業?ナニソレ!」
日本で、即時修正が必要などんなに致命的な不具合が発生しても定時には帰ってしまう。
大型連休に入ると梃子でも動かない。
※但し中華圏は、日本と違い細かい祝日がほぼ無い。

中国三社(中には、日本で知れ渡っている大企業もある)と仕事したが、
もう中国企業と仕事するのは嫌だよー嫌だよー!

…ってもう愚痴にしかならないのでこの辺にしておく。


こんなところです。で、結局何が言いたいかというと、こうだ!

●ネットゲーム上での付き合いやすさ
その他>>>>>>>>>>>>>>>台湾

●ビジネス上での付き合いやすさ
台湾>>>韓国>>>>>>>>>>>中国

●リアルでの付き合いやすさ
国は一切関係ない。台湾、中国、韓国それぞれに友達が居るが皆良い人ばかり。

●おまけ。国民別PK大好き度!(PvPではないPKという所がミソ)
欧米>>>韓国>>中国>>台湾>>>日本
(当サイトに来るあなたは間違いなくPK論争においてはマイノリティですw)

ま、所詮は一個人による主観に基づくただの戯言ですので、各国の皆様におかれましては悪しからず。
管理人(SUREN)への連絡はこちらへ。お気楽にどうぞ:D
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