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●年月表

(2003.2)Ultima Online: Age of Shadows(正邪の大陸 通称:AoS)発売
(2003.2)Sika.com更新停止
(2003.5)Publish 18
(2005.6)正邪の大陸開始ギフト(通称謝罪アイテム)導入
(2003.7)Publish 19
(2003.7)YGW発足
(2003.7)家パッチ第1段階導入。キャラクターネーム変更サービス開始
(2003.8)家パッチ第2段階導入
(2003.10)Publish 20
(2003.11)Test Sosaria設置
(2003.12)Publish 22
(2004.1)家パッチ第3段階導入
(2004.3)Publish23
(2004.5)Publish24
(2004.6)シギル染め解禁


●流れ

UO史上嘗て無い大変革。というよりほぼ別ゲームと化した新パッケージ、それがUOAoS。

攻撃フラグが立っている時のゲート移動不可は、Warのみならずゲート移動が軸となる戦場全てが終焉したに等しい。
マジックプロパティアイテムが出現しなくなりInv,テレポリングがパッチレア化。
APBのダメージが増大し、APBの代わりに低細工スキルで作れるダーツBOXが代替用品となる。
保険制度の導入&AF(アーテファクト)により強烈なパワーインフレを巻き起こし、レアな装備がないと対人戦も門前払いとなった。
簡単に殺せてしまうボーラやディスマウント(ランスのディスマウントはすぐにNerfされた)が氾濫するPvP。
全てのプレイヤーの条件は横並びで、対人の優劣はプレイヤーの装備の量と質(多少有利でも強くても死ねば全ロストという大リスクがあった)、アイデア(skill構成や独自マクロ、その他戦術)や、思いのままにキャラクターを動かせる操作の腕“だけ“にかかっていたという嘗てのUOの姿。他のゲームには無いUOだけの魅力。これらがまとめて失われてしまった。こうして、旧世代のプレイヤー達のその殆どが引退。しかし同時にAoS後に対人を始めたプレイヤー達の新時代を迎える。

また、VG(Order vs Chaos)が消滅し、派閥戦線霧散。一方でスキルステータスロス制度が廃止されフェルッカ圏外は赤ネームが闊歩し、ほぼMugen化。そしてパワースクロール強奪ギルドが出現。各地でパワスク争奪戦が繰り広げられるようになった。


で、消滅したWarの話。

この当時、SHで行われていた仮想Warという催しがあった。仮想Warは戦争経験の無いGuildの為に用意された模擬場であり、何れ本場Warに参戦する為の練習場であったのだが、AoSによりその参戦すべき戦場が消滅してしまう。そしてそればかりか既存War Guild(P0P、CrS、ETC、*IV、G99、LKF等)が戦場を求めてこぞってSH仮想Warに参戦しにくるという逆転現象が発生してしまった。

(2003.7)
当時の戦争屋たちはSH仮想Warを継続していたが、SH仮想ギルドとの戦争に対する思想や意識、価値観の違いは深かった。
そんな中、ETCのLa氏を初めとする旧戦争屋達は、集団PvPをつまらなくする要素であるボーラやSPMによるディスマウントといった落馬の制限や、更に対人ダメージ20%軽減ドラ鎧禁止、戦闘不可地域設定(リコールアウトする為にフラグを消化する為に待機する不可侵領域)といった、強さに対する拘りを内包しつつ、あからさまなオーバーパワーを抑え、集団対人戦を楽しむ為の必要最低限のルールを設けたAF有り戦場「YGW」と称してWarを開始する。戦場は、初期はオクロー、以後はNJに定着し悠久の時を迎える。

このようにして、Warに関しても歴史的な転換期を迎えた。
YGWは、AoS導入により消滅したWarを再度まとめ、破綻した対人バランスの調整や、宣戦状態の取りまとめ、そして定期的にイベントを開催しWarに勧誘する等々を通じて、ルール無しでは、というよりユーザーの努力無しでは成り立たなくなってしまったWarという舞台を如何に存続させ続けるかというWar Guildの総合窓口的な役割を果たしていく事となっていった。

(2003.6)
正邪の大陸開始ギフト(通称:謝罪アイテム)導入。
謝罪アイテムとは、EAがAoSパッケージ発売日に、日本全シャードの一斉建築解禁という暴挙を行ったために、当然の如くエンドユーザーのアクセスが集中し大ラグ発生。高いトラフィックによるサーバーダウン(及び巻き戻り)や長時間に渡るログイン障害を招いた。それらに関する怒涛の苦情を収束させるべく「謝罪」としてユーザーにアイテムその他を提供したというもの。但し実際には、その導入時において「謝罪」ではなく「正邪の大陸開始ギフト」として、感謝を示す為に提供するという主旨に変更されている。

しかしエレクトロニックアーツよ…ステータス上限+5、これだけは、これだけはやってはいけなかった!極論すると、如何なる神アイテムやパワスク等も、自身が獲得するチャンスや、また等価の財産を揃えれば売買により獲得できるチャンスがあるからまだ良い。1年Acc毎に+5されるskill上限。これもどうかと思うが4年で対等になるからまだマシといえばマシ。長期褒章もまた然り。
しかし、謝罪アイテムのみに含まれるステータス+5。後発や謝罪アイテムを受け取れなかった出戻り組からすると、これだけは如何なる努力を持ってしても(勿論謝罪+5を受け取ったAcc譲渡は別だけど)決して追いつけない壁として立ちはだかることになった。
ステータス+5は、対人をしない人々にはさほど影響はせず、「+5自体大した差はつかない」という意見も、それはその通りだろう。PvPerからしてもあまり気にしない人も居るだろう。

しかしステータス+5が批難されるべき論点は「大した差ではない」ではなく、それはひとえに、UOの最も良い所である「後発が追いつけ追い抜ける可能性がある」ゲームというスタンスを運営自ら潰してしまった所を問題視すべきだ。

私の中では、謝罪ステータス+5はEA最大の失策と目しており、そしてまたその施策を実行してしまうUO運営におけるEAの理念にただただ運営不信が募った。そしてまた、私自身はステータス+5を受取ったものの、受け取れなかった後発や出戻り組が受ける精神的ダメージを慮るばかりなりであった。

今からでもいい。謝罪ステータス+5機能を持つPSでも、リアルマネーでも、ベテラン褒章でも何でもいい。何かしらの形でステータス+5を実装し、後発、出戻り組にも"追いつける"チャンスを与えるべきだと私は考える。
(2006.11に半年褒章としてステータス+5が導入されました。めでたしめでたし)


●当時のWar Guild

[7]…

[BNT]…

[CrS]…

[DD!]…

[ETC]…

[F*A]…

[FoE]…

[*IV]…

[-K-]…

[P0P]…GMがKamyu氏からMasayuki氏に交代

[SPK]…

[Udn]…CrSの別石

[Vie]…

[.oO]…Oo.(通称ゴン団)のNJ石


●この頃の思ひ出

Pub16の対人は末期的な閉塞感が漂っていた為、AoS導入によりまた対人が面白くなればいいなぁの状態でUOを継続しました。

この頃は同じ会社(リアル)の人たちでUOを遊んでおり、マラス解禁日はなんと6人も有休を取る (笑)
ある人は10時間全くログインできずに不貞寝したり、またある人はそこそこの家を建てられたり。私自身は18*18土台建設に成功しましたが巻き戻りで失ってしまい失意の底からAoSを開始しました。

さて、AoS導入と共にtakimoto復帰。よっしゃここはキャラを作っておき楽PKでもしようぜというノリでしたが、takimotoはカスタマイズハウスに補完していた大量のインビジ、テレポリングが取り出せなくなりそのまま引退(泣)。

仲間が居なくなった私は仕方なしに適当に装備をかき集め、一人単騎PKK(PKを嫌悪していたのはUO:R前までで、この頃になるとPKでもPKKでもどっちでも良かったのですが本来の私はPKK派でした)を始めました。

で、暫く単騎で過ごすあくる日、赤P0Pの誰かと1onしていたら同じくP0PのGM、kamyu氏が突如乱入、殺されてしまいました。で、kamyu氏がChaos神殿にGateを出してくれたのでくぐるとそこにはGAUのkeenさんが! keenさん曰く、活動を停止していたGAUがSHにて仮想Warに参戦する準備をするので一緒にどうですかと誘われ、単騎もイマイチつまらんなと思っていた私は二つ返事で合流させてもらいました。

というわけでGAUへ。デシWar時代のWar guild、YouのsorauさんがGM。GAUとYOUでGYU(笑)となり、牛になった私はモーモーと仮想Warを開始しました。

GYUは、Memberには恵まれたのですが、正直肝心かなめの戦場自体が模擬的であった為かモチベーションが上がらずウダウダとやっていた所、[~e~]のIRCにギルドPNXのTHUMBとKurtがやってきてSadow Baneなるゲームにtakimotoをスカウトしに来た為、私もそれに乗りSBへ旅立ってしまいました。GYUの皆さんゴメンナサイ。

それからの3ヶ月間、UO以来のハマリっぷりで夢中に遊んだSBも、正式サービスを開始するとともに大いに廃れてしまいました。そこでSBからUOに戻るという選択をしたのは私と、SBで合流した伍長(H+)。
その頃はVashとkenrouもUOに復帰し、何をするにもまずは装備だなって事で、皆でDoomへ通う日々。Yamato誕生と共に産声を上げたLSD(正式名称Last Survivors of Doom [LSD])はここにきて、その名の通りDoomギルドになっていました(笑)。

しかし結局、Vashはリネージュ2、kenrouはリアル多忙により再度隠居、伍長ともUO活動時間が合わなくなってしまい、装備を整え終わった私は、仕方が無いのでまたしても寂しく一人単騎PKKを始めました。
その頃のPK GuildはBK、GML、AR0、GKN等。
走るよりもテレポートで移動した方が早いという、もう魔法というより超能力のようなFC5超速コンボメイジを相手に、FC5パラディンヒールで凌ぎ馬鹿モール0.5秒張り付きで殴りつづける日々でした。
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