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●年月表

(1998.9)Asuka,Yamato Open
(1998.10)Ultima Online: The Second Age(ザ・セカンドエイジ 通称:T2A)発売
(1998.10)Wakoku Open
(1998.12)テント消滅
(1998.12)uolimpic98 YAMATO
(1998.12)初代DuelPit設置
(1999.1)トレハン導入
(1999.1)Hokuto Open
(1999.2)カラーインゴット導入、瞑想・ステルス・罠・罠外しskill導入、アナトミーが武器ダメに影響
(1999.2)uolimpic3
(1999.3)Yamato大戦


●流れ

(1998.9)
UOボード(今は無き日本人プレイヤー達の為の大BBS)上で、異なるシャードのPvPer達同士で不毛なBBS合戦を繰り広げる中、日本サーバー第一号Asukaが、その数時間遅れでYamatoが設置される。

日本シャードの記念すべき幕開けだ。

日本シャード発足前、UOボードでLAPIS@ScV氏が「PvPerはyamatoに集まり決着をつけよう」的な住み分けを提唱して大騒ぎになった事や、元々yamatoの名が持つその猛々しいイメージも一因してか、多くの対人屋はYamatoに集った。
ひいてはYamatoがWar serverと呼ばれる由縁となった。

(1998.10)
先ず初めに、大陸制覇を唱えるBaja出身のScVが、Pacificで君臨していた大勢力CoSに猛烈な挑発を行い開戦した事からYamato Warの幕が開けた。

その一方で、PKとPKKの争い。PK勢LLF(Baja),KOP(Baja),RoS(元は全怒連のVC。Paci) vs NapaのPKK勢Arc,GoZの戦いはWarにその舞台を移しKRS vs P*Pに。

ScV,CoS,KRS,P*P
その4大勢力(プラスDF)が絡みあう形に発展した。

出身シャード間の争いが特に色濃かったこの合戦は、Baja出身者メインのScVとKRS、Paci出身のCoS&Napa出身のP*Pが度々共闘する形となり、KRScVの前にCoS、P*Pが衰退していった。

(1999.1)
KRScV同盟終了、及びDFのScV傭兵期間終了。その後ScVと、DFを雇い入れたKRSの戦争の最中に=+=登場。=+=は、RoD、H+、CoC(CoS残党)といったChaos勢のWarGuildや、GoZやWarに残ったP*Pの一部をまとめ上げカオス連合を組織。
また一方では、Order勢のLSDとSDKが同盟、更にKRSとの契約期間が切れたDFを迎えScV、KRSに宣戦。勢力図はScV vs KRS vs LSDK vs カオス連合の4つ巴となった。

(1999.2)
LSDKとカオス連合のマンパワーに押されたScVとKRSは再同盟しKRScV vs LSDK vs カオス連合となり、今度はKRScV優勢になり過ぎてしまう。また、この頃の背景として、新RPG「EverQuest」発売も控え倦怠感が蔓延しており、各ギルドAct低下で急速にWar界が盛り下がっていた。
そんな中、ScVを構成していたギルドのうちの1つ、HoAを率いるKiyoyo氏(UOlimpicの始祖であり、yamato大戦における実質の立役者のうちの一人であった)の一部はScVを抜けDFを雇い反ScVの旗手として=+=と組み、反ScV体制を作り上げた。
2月下旬。=+=のGMであるyutaka氏は、ScVに「期間限定での完全決着方式warでギルドを賭けた戦いを望む。」と投稿した事により、yamato黎明期における最後の花火、通称yamato大戦(大和大戦。14日間戦争とも)が動き出した。

(1999.3)
はてさて、負けた方がギルド解散及び公開処刑という、
まさに雌雄を決する為の14日間戦争yamato大戦開始。

リコール、ゲート、蘇生禁止(途中召喚魔法禁止といったルールが追加されていった)、一日3回勝負。7勝した方が勝ち。場所はDecietやブリ2銀等で行われ、食料を旗に見立てたフラッグ戦等も行われたりしたが中盤からヒスロス島を舞台とした大将戦に落ち着く。

初日の前哨戦は=+=が圧勝したことから、ScV側は数的有利を保とうと他のWarや一般ギルドに参加を広く募った。=+=もそれに対抗すべく募集を行いActが増大。Yamato大戦の熱気は次第にyamato全体に広がっていき、募集合戦の末にはほぼ全ての対人Guildが参戦しyamatoが真っ二つに割れただけではなく、最終的にはイベント化された事もあってか一般人の参加も多くなり、両陣営は共に石登録250キャラクター以上、同時参加数は各陣営100人を超えるUO史上、いや、オンラインゲーム史上空前の大戦へと発展していった。

ScV陣営…ScV,KRS,WD,SDK,S3,BNG,Zoo,D,SpS,i's,DKR,FoF
=+=陣営…=+=,HoA,DF,P*P,CoS,H+,RoD,GoZ,JDS,IF,P,RS,SoK
(一般、PK、PKK Guild含む)

Yamato大戦はScV勝利で終結。=+=は公開処刑、guild解散。
公開処刑式は、=+=が全員裸でブリテイン城下町を引っ張りまわされる処刑パレードから始まりブリ城に整列。ScVに処刑されるというもの。更に式を盛り上げる為のシナリオがあり、暴れる=+=をScVが鎮圧するというものであった。

で、実際ScVの処刑が始まり、=+=が暴れだす…が。

弱い武器などで手加減しながら襲いかかるはずだった=+=。しかし弓を使う者がいる。観客席からヒールや弓が飛ぶ。毒を塗った武器で襲いかかる者もいる。魔法をバリバリ使う者もいる。フィールド魔法やデーモン召喚するものが居る(この場では全てタブーのはずだった)。しかもイベントの締めに最後に殺されるはずだった=+=GM、yutaka氏が殺害されてしまい、更にはBri城のあまりの重さに出動したGMが、1Fで乱戦していたPCを次々と座標強制移動させ、とどめにはその混乱に乗じてDFと一部の=+=が王座の裏からGateで乱入し暴れまわるという何重ものアクシデントの結果、大混乱のまま収集がつかなくなり終了。

ともあれ日本サーバー誕生から激動の半年間は、前半は出身シャード間争い。後半はScV vs アンチScVの戦いはここに一応の終結を迎えたのであった。


●当時のWar Guild

[CoC]…CoSの派生。Chaos guild

[CoS]…UOβ時代から存在していたGuildで、PacificでCoS,SoK,VC等を含めて「全PacificDread連合(通称:全怒連)」とし君臨していた巨大ギルド。War GuildでもPK guildでもなく、何でもアリのGuildだった。Ymtではおき楽ギルドでScVの挑発に対しても腰が重かった様子。逆説的だがCoSはYmtではPK活動を大々的には行っていなかった故に、Anti PKが理念であるP*Pも、CoSと共闘したという経緯がある。

[DF]…Baja出身の傭兵Guild。DFが何処に付くのかでWar勢力図は一新されてしまうほどの兵力と強さを併せ持っていた。
一方で、戦力バランサーの位置付けでもあった。DFは劣勢側に付くことで、Yamatoサーバー全体の勢力を均衡させていた側面がある。これは暗黙の了解。

[H+]…Napa出身のギルドHaienaのWar部隊。率いるはadio氏。率盾持ちが多くて堅固(当時、盾skillはレジ並かそれ以上にあげるのが大変だった)。

[i's]…ギルド名もキャラ名もiで服も同じという謎のFPK集団。
その正体は一部のScVやLLFメンバーとの事(ScV某氏からの証言)

[KRS]…3つのPKギルド(LLF、KOP、RoS)がWarの為に統合した正式名称KoRoSu!という物騒なWar Guild。Ymt情勢を動かしていたギルドの一つ。

[LSD]…Sonomaから移住し、Yamato誕生と共に立ち上げたOrderギルド。SDKと同盟するまではずっと単独でWarをしていた。Vashは因みにLSD三代目のGM。(因みにIzmのPKGuild、LSD(らぶ山賊団)とは全くの無関係です)

[P*P]…AWCに対するScVの猛烈な挑発をいなしきれずに出来た2大PKK GuildのArc(通称アルカナ。War部隊の前身としてSSという石も立てていた)とGoZ併合によるWarGuild。AWCが結党してWarギルドを作ったのはこれが最初にしておそらく最後。
補足すると、当時のYmt PKKはアルカナ、GoZ、RS(ライジングサン)が3大PKKギルドだった。
RSのGM、Yukimura氏のリアル妹さんがRSを引き継ぎ、初心者支援ギルドとして今でも存続している。
[RZP]…傭兵ギルド梁山泊。108人までしか募集しないとの規約が印象的だった。

[S3]…Paci出身のGuild、SSSのOrder部隊。

[ScV]…yamato黎明期における主役。LAPIS氏率いるWar Guild。Baja出身でWar実装と同時に海外でWarに明け暮れていた。Yamato ScVは単体ではなく、ScV,HoA,J99,WDという4つのギルドで構成されていた。Menは全員、当時では高価であった黒プレートと真っ赤な服。因みにYamat ScVのGMは途中でBCG氏に交代。

[SDK]…正義を掲げたOrderGuild。baja出身。武闘派はymtへ、まったり派はAskに流れていった。

[P]…Prophecy。DuelギルドがWarに参戦。AsukaのOZと並び、ProphecyのHPは当時の対人指南書的役割を果たしていた。

[RoD]…ChaosGuild。

[Zoo]…TOMATOKUN率いるPKK&War Guild。なんだか色々なGuildと揉めていた。

[=+=]…正式名称Crusader(クルセイダー)。P*Pから派生した、P*PのYutaka氏率いるChaosGuild。
チェインメイルにカオスシールド。赤のタスキとキルトスカートが正装。
ScVと共にYmt黎明期における主役に。


●その他

[PoA]…Bug,cheat,青Healer何でもござれの台湾ギルド。しかし、このギルドが日本の対人屋にもたらした影響は計り知れない。
・「PoAビーム」:PoAが発見した、魔法タゲ1秒待ち開放後即詠唱という技はPoAビームと称され、PvPer必須技術となりPoAの名は長々と語り継がれることとなる。
・「APB(Anti Para Box)」:小バックパックに魔法のカギを掛け、そのバックパックを開いたときのダメージによりパラライズを解除するもの。それまでは相手のパラライズ詠唱を予測し、MA等ダメージの低い魔法をキャストしておき、自分に打ってパラライズを解除していたという非常に効率の悪いものだった。
・「PoAマジック」:VG Guildと遭遇したら (Order and Chaos guildの総称)敵対VGに即座に石が変わりアタックしてくるという、仕様の抜け業。これを、当時の日本人達は皮肉を込めてPoAマジックと呼称した(※当時はVG切り替えに7日間ルールなど無く即座にVGが変更された。因みに私も餌食になりましたとほほ)等々。

[PU2]…Bug,cheat,青Healer何でもござれの台湾ギルド。なんとギルド員の名前が全員PUPU。何故そんなことをしていたのか。なんでもゲームマスターの追跡から目を逸らす為らしい。
因みに、似たような(キャラ名が全員同じでPKFPK系)という組織に日本の「i」や、後年の「EliteMangudai」等があったがこちらチーターではない。

AWC…AWCはGuildではなく、元はNapaのPKギルドWicked Crownsに対抗すべく組織されたAnti Wicked Crownsがその発祥で、個人やPKKギルドがIRCによってPK情報を共有し、PKに対する数的有利を確保する為の組織。日本サーバー設置時に、NapaのPKGuildはYamatoに移住する事を宣言しており、2大PKKギルドのArcやGoZを始めとしたAWC勢はYamatoに移住したのだがそれはPKKをyamatoに集めてしまう為の策略で、Napa PKの大半は皆Asukaに移住してしまった。PKサイドの目論見は成功したがそこで終わらないのがAWCの執念。PKKは彼らを追い、AsukaにもAWCを構えた。こうして日本サーバー誕生後もAWCは各サーバーに存続し続けることとなり、今もなおその勢力を保ち続けている。


●この頃の思ひ出

武勇伝に飽きた頃、UOに日本サーバーが誕生したので、武勇伝で出来た友人達と共にUOをyamatoで再度始める。その後βが始まったMMORPGの「Dark Eyes」に手を出すも手ごたえが無く、「Majesty」に手を出すもイマイチ面白くない。結局UOに落ち着く。

さて、この頃のUOは新評判システム(FameとKarmaの2軸で称号が決定するシステム)や殺人カウント蓄積時の死亡でSkill Lossのペナルティが導入されたとはいえ、それでもガード圏外に出るとPKに合うのは当たり前という始末なので、被害にあったプレイヤー達にとっては、いくばかの道しかありませんでした。

①自衛手段は確立せず、対人せず、ひたすらPKから逃げる術を身に付ける。または街から出ない。
②復讐者としてPKKとしての道を歩む。
③自分もPKになる。またはその笠に着る。
④嫌になりUOを去る。

元々、血気盛んで負けず嫌い且つAnti PKな私が選んだ道は②でした。(当時の皆さんはどの道を選びましたか?)

というわけで単身AWCに個人参加し、対人の勉強をしながらPK連中に戦いを挑むも返り討ちに会うNewbie丸出しな日々を面白おかしく過ごす。
因みに当時のPKギルドはCT,KOP,LLF,RoS,SoK,UTM(通称マフィア),i's,PoA,PU2等。

で、そのような日々を過ごしつつ時は流れてYamato大戦開催へ。Yamato大戦末期にSoKが=+=陣営で参戦するとの報を聞いたので、SoKにハウスルートされた事があり、その仕返しがしたかった私は「おっしゃこりゃぁScV側に参戦するしかないべ」って事で友人5人ほどを誘いScVへ。
当時の私からしてみればyamato大戦はScV vs anti ScVの戦いに参加したというわけではなく、単なる私怨で動いていたのです。まあ実際参加したら私怨などどうでも良くなってしまったのではありますが。で、この頃は既にScV石単独で200キャラクター以上の登録があり、GMから「これ以上member登録したらサーバーが落ちる!」と警告されていた為ScV石には入れないとの事なのでSDK石に登録させてもらい、ヒスロス戦に参戦。これが私の初War。ちゃっかりオーダーシールド片手に公開処刑式にまで参列し、ハルバードを振るい=+=を見送ろうとしたら、GMにコブトスあたりにすっ飛ばされてしまいました(笑)
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